Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

共同体の貨幣

From 三橋貴明


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【近況】
コロナ禍が始まる少し前から、
三橋は「共同体」という言葉を
多用するようになりました。



理由は二つあり、
一つは「人間は共同体に属すること
無しでは生きられない」
という現実があるためです。



「いや、自分は一人でも生きていける」
と、中二病的なことを主張する人には、
「どうぞどうぞ、無人島で一人で生きて下さい」
と、申し上げたいと思います。



我々は共同体に属する
他の「生産者」の生産なしでは、
生存することすら不可能なのです。



無論、他の生産者の生産に依存すると同時に、
我々も生産者として共同体に
貢献しなければならないわけですが。



二つ目の理由は、「貨幣」です。



貨幣とは、貸借関係。
債務と債権の記録。



つまりは「借り」にせよ「貸し」にせよ、
相手がいなければ成立しないのが
貨幣なのです。



ロビンソン・クルーソーが
無人島で一人で暮らしていたとき、
貨幣は存在できません。



何しろ、借りを作る相手も、
貸しを作る相手もいない。



フライデーが島に漂着することで、
初めて貨幣は存在しうるわけですね。



つまりは「国家観」はもちろんのこと、
「貨幣観」も共同体の存在と
密接に関わり合っている。



日本国民は、大東亜戦争敗北後、
特にグローバリズム襲来以降、
共同体意識を破壊されていった。
結果的に、貨幣観が狂い、



「国民を救うために、
債務返済の負担が無い国家が貨幣を発行する」
という当たり前のことすら
理解できなくなったわけでございますね。



国家観を立て直し、貨幣観を修正することは、
日本国民が共同体を取り戻す戦いなのです。