Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「出会い系バー」の前川喜平さんの教育指導要領批判に漂う「お前が言うか」

(山本一郎:次世代基盤政策研究所理事)
 最初にネタばらしをしておくと、元文部科学省事務次官の前川喜平さんは、加計学園の件(注)で当時官房長官だった菅義偉さんに楯突いたから、身許を調べられて出会い系バー通いを2017年5月に読売新聞に書かれたと思っているようですが、前川さんが文部科学省の事務次官に就任した16年1月の時点で周知の事実だったんですよね。みんな知ってました。いちいち言わなかっただけです。
注:加計学園の獣医学部新設に関して、申請当時の文部科学省事務次官だった前川氏が、認可に当たって当時の安倍晋三首相の便宜を告発した一件
 子どもの教育に関わる初等中等教育局長を歴任された前川喜平さんが、日がな風俗店に行き、女性に自腹で小遣いを渡して女性の貧困問題の調査をされていたことを知った時は、なんと研究熱心なのかと頭が下がる思いでした。
 ただ、前川さんが事務次官を降ろされた直接の理由は、ご本人もお認めの通り、天下り仲介スキームに関わる再就職等規制違反でした。加計学園の話は必ずしも関係ないんですよね。お気の毒でした。
 “総理のご意向文書”の存在を告発し、加計学園問題の切込役となった前川さんは、産業用冷凍機大手の前川製作所というご実家の太さや麻布中高から東大法学部という毛並みの良さゆえに、必要な獣医の養成も省庁の天下りも所詮は世の浮き事と割り切っておられるのでしょうか。泉下で中曾根康弘せんせも喜んでおられると思います。
 そんな前川喜平さんがご自身の著書のプロモーションのために、文科行政の一丁目一番地である学習指導要領をDISっていると聞いたので見物に行ってきました。
 いやぁ何ですかねえ、これは。新刊の対談相手が法政大学キャリアデザイン学部教授の児美川孝一郎さんで、当JBpressでも新自由主義的な教育手法批判を展開されており、「言いたいことは分かる」という感じの研究者さんです。JBpressの記事はカネ払って読め。
【関連記事】
◎最新の「学習指導要領」が、「絵に描いたモチ」になってしまっている意外な理由(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95330)
◎中途半端な新自由主義の末路、一蓮托生の大学と文科省(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54237)
 確かに昨今の「GIGAスクール構想」の下、子どもに一人1台PCを配り、「アクティブラーニングやりますよ」「コンピュータ上でテストして子どもの学習への理解のレベルを管理しますよ」という方針で教育データの利活用を進めることについては、教育実践や現場からも一部異論が出ているのは事実です。
 私ですら、前川喜平さんや児美川孝一郎さんの言うことに耳を傾けようねと思うのは、教育データ利活用のためのロードマップ、有識者会議、そして利活用ガイドラインなど政策実施に必要な議論をデジタル庁が急ピッチで進めている中で、実際には「日本の教育がどこに向かうべきか」というゴールがあまり明確でないことが、大変な問題だからです。
情報化もいいけど何のための教育なのか?
 この政策はどこに向かってるんだよ。なんというか、教育情報化政策は行き先のないバスに乗せられた気分になります。日本社会は、文教政策を通じて子どもをどう育てて、社会で生きる能力をどのように磨き、豊かで幸せな人生をどのように歩んでもらおうとしているのか、それが良く分からなくなっているのが実際じゃないかと思うんですよね。
 親でさえ、この社会の未来がはっきり見えず、希望を持つのも難しいのに、子どもに「おう、お前らこれをやったらとりあえず安泰だぞ」と自信をもって言えるものがあるのかどうか。
 この「戦後」を終えた日本社会に、子どもに成功のロードマップや人生のモデルケースを用意できないのは文部科学省だけでなく、日本社会を生きる大人たち全員の問題じゃないかと思います。
◎「教育データ利活用」は本当に「地獄への道」なのか?(https://diamond.jp/articles/-/297329)
 例えば、中室牧子さんという教育経済学を専門とする人が、デジタル庁の教育データ利活用に関する政策を立案されているようです。私も統計を知る人間として、中室牧子さんの著した『「学力」の経済学』や津川友介さんとの共著『「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法
』は一般の人でも分かりやすい、「データから物事を考えるとは何か」を導いてくれる良書だと思います。カネを出して読め。
 これが、データの重要さを説き、そのデータに基づいて政策を審議し、効果のある政策を実施することで国民の生活が便利になり、より良くなるのだというEBPM(エビデンスベースト・ポリシーメイキング)とかいうロジックにつながっていくわけであります。
 公教育の未来を考えるにあたっては、これだけみんなスマホだパソコンだと使うようになったのだから、こういった新しいICT技術を使おうというのは当然の主張です。もう少し子ども一人ひとりにあった教育を実現するにあたり、データに基づいて根拠のある教育をやればもっと良くなるのですから、教育データの利活用は適正な手法であるならば、おおいに進めるべきだと私も思います。
 原則賛成ではありつつも、データを取ると言ってもすべてが評点にできるものとは限りません。特に人間そのもの、それも発展途上の子どもたちのすべてをデータ化できるものばかりではなく、特に教育の分野にはデータ化できないものがあります。それでも、「これは教育のために必要だ」と思えるものを適切に教育データとして取り、教育の現場に役立てよう(教育データの標準化含む)というのは必要な議論です。
アメリカが教育データの利活用を進めてきた背景
 例えば、お前の息子の成績が急落して困っていたとする。大変ですね。勉強しろ。……で、学校からすれば「通っている子どもの成績というデータ」を読み取って、教育の現場にいる教師がこの子は成績が急落しているのだから、理由を把握し手厚く見てみようとなるかもしれません。そこで子どもの成績が改善していけば、その子にとってデータ活用は福音です。ありがとうGIGAスクール。
 しかし、実際には日本でもアメリカでも欧州でもイギリスでも、「何が子どもの成績を急落させているのか」という観点からデータ利活用する場合、たいていにおいて、成績が落ちた子どもごとの理由にぶち当たります。
 往々にしてあるのは、親の虐待が増えた、親が失業して経済的に大変なことになった、親が離婚した、親が病気したなど、子ども本人ではない家庭環境の劣化が勉強どころではない状況を作り出し、家庭学習の時間が減少して成績が下がるということは多くあります。
 では、子どもの成績急落が家庭環境の問題だとして、そこに教育の現場を任される教師が立ち入るべきなのかという議論はどうしても出ます。学校の教師はただでさえクソ忙しいのに、学校から離れて子どものプライベートにまで立ち入って成績改善させるなんてことは不可能です。
 加えて、子どもに日記を書かせて感情の内面や家庭環境まで、学校が自治体の子ども見守り事業とともに児童福祉の文脈で入り込むことは極めて危険と言えます。学校で得た教育データを自治体の児童福祉事業で活用させるのは、学校における子どもの個人情報の取得目的から完全に逸脱しているのは間違いなく、大阪府箕面市や奈良県葛城市の取り組みとかもう完全に違法と言えます。何を考えてるんでしょうね。
 アメリカでは、91年のミネソタ州チャータースクール法以降、ある種の新自由主義的なデータ利活用が公教育の現場に入り込み、様々な問題を引き起こしました。児美川孝一郎さんが指摘するような弊害を及ぼすであろうことは自明です。
 明治時代から変わらない、大部屋の教室で一同揃って机を並べて授業することが妥当なのかが問われる一方で、アメリカが直面するような初等中等教育におけるドラッグや妊娠、拳銃、離婚などの脅威から子どもを守るために教育データの利活用を進めてきたバックグラウンドと、日本の教育デジタル化を一緒くたにするのはどうなのかとも思います。
「今ごろ日教組でもそんなこと言わねえぞ」
 子どもの虐待に関しては、特に国会で成立した「こども基本法」や、参院で審議される「こども家庭庁設置関連法」法案でも議論されていますが、現在の公教育に関する議論で「ゆとり」か「詰め込み」かなんて、もう誰も話題にしてないんですよ。いつの時代の話だ、と。
 子どもの教育データの利活用で、これまで学校が暗黙的に承知していた子どもの資質・能力だけでなく、子どもの気分など内面についてや夫婦仲の状態、生活保護世帯かどうかなど、経済問題を含めた家庭の事情をデータ化して本当に大丈夫なのかという観点のほうがよほど問題です。
 先ほどの記事で、前川さんは「ゆとり教育批判」を背景に最新の学習指導要領を批判していますが、このような与太話をするのは、単純に今まであまり教育の現場を見ておらず、これら学校でのICTの利活用状況や、それに伴う個人情報保護の枠組みを踏まえた最新の教育政策の議論を、きちんとフォローアップできていないからではないかと思います。
 また、前川喜平さんは探求型授業やアクティブラーニングについて、教育指導要領の中身に沿ってこんなのいちいちやってたら授業量が多すぎて、「日本中の子どもたちにとっては詰め込みすぎで、学習も頭のなかもパンクしちゃう」とか書いています。たぶん公教育の実情を知らんのか、あるいは状況認識が古すぎてついてこられてないんじゃないかと思うんですよね。
© JBpress 提供 衆院で開かれた加計学園問題などの集中審議で証言する前川喜平氏(写真:つのだよしお/アフロ)
 全国学力テスト上位の秋田県で言うならば、秋田県教育委員会が謎の頑張りを見せて、「教職員が実感できる多忙化防止計画」を早期に策定し、教師の働きすぎをどう是正するか検討を重ねてきています。首都圏や近畿圏では、特に親の共働きに伴う初等中等教育における放課後の子どもを預かるための学童保育をどうするのかの方が課題になっておるわけです。
 学校単位でやる部活動が教職員や通う子どもに対する負担となるから地域単位で子どもを預かる仕組みを作らないといけないとか、「今ごろ日教組でもそんなこと言わねえぞ」という議論をしているのが前川喜平さんじゃないのかと感じる部分はあります。
◎秋田県の子どもの学力が「13年間連続トップクラス」なワケ(https://diamond.jp/articles/-/283900)
 秋田の教育は凄くて大変優れた生徒を育てるし、秋田大学や国際教養大学など良い高等教育もできて先進県になって凄いとみんな思っています。ただ、その結果として、いい人材育てても秋田に仕事がないからみんな仙台や札幌や東京で就職するため流出しちゃうのは、非常にもったいないと思うんですよね。
学習指導要綱の改訂を担当した部下を平然とDISる上司
 裏を返せば、前川喜平さんのような子どもの全人格性も育める教育にしろという議論も、中室牧子さんのようなデータを利活用して根拠のある教育を目指せという議論も、どちらも一理あります。しかし、本当に一番問題なのは、前述の通り「日本の教育改革の目的は何で、ゴールはどこなんだよ」という点がはっきりしないことにあるのでしょう。
 前川喜平さんも、「旭川学力テスト問題(※)」が示した最高裁判決が大綱的だと指摘していましたが、そもそも裁判の中身が学力テストに関わることである限り、大綱的な判決になるのは当たり前です。
※1961年に当時の文部省が全国の中学2、3年生を対象に一斉学力テストを実施したところ、旭川市の私立中の教師がテストを阻止しようと校長を暴行し、公務執行妨害等で逮捕された一件
 その教育の中身と細部をきちんと詰めるのは文部科学省として最低限必要な作業ですから、ここを批判するのであれば、「前川喜平さんは文部事務次官だったのに、そういう仕事しないで天下りを手配したり、出会い系バーで女の子におカネをばら撒いていたりしたんですか?」って反応が出てしまうのも仕方のないことだと思うんですよ。働いてなかったんだから。
 前川さんが対談中に、「まあ、(学習指導要領の08年、17年改訂は)両方とも合田君がやったからいけないんですよ(笑)。(中略)改訂の時に合田君は、初等・中等教育局の教育課程課の教育課程企画室長だった」とまで書いて、当時の部下だった合田哲雄さんを派手にDISってます。
 でも前川さん、その時はどちらも合田さんの上司であり、07年改訂は初等中等教育局の審議官、17年は文部科学審議官・事務次官だったわけですよ。つまり、学習指導要領を改訂する責任者では前川さんであって、それはお前の仕事やがな。
 前川さんは、自分は仕事ができないので部下に全部やらせたうえで、最終的に自分の思ったようにならなかったので、あれは全部、当時の部下の責任だったとぶん投げるような議論を平然としていることになります。
 その合田さんの人事権を持っていたのは、前川さん本人です。その前川さんが、問題だという合田さんを更迭できなかった理由は、「合田さんらがいなければ、前川さんは責任者として学習指導要領の改訂もままならなかったから」でしょう。今でこそ、「左翼の星」となっている前川喜平さんに対して、教育界や現役官僚が支持の声を上げないのは、ひとえに文科官僚として無能だったからに他ならないと思います。
「あなた、事務次官でしたよね」
 そして後日、文部科学大臣となった当時の官房副長官の萩生田光一さんに天下り問題で詰め腹を切らされた前川喜平さんが、恨み骨髄でネタ披露しているあたりに哀愁を感じます。文科行政の観点から言えば、大臣となった柴山昌彦さん(柴山プラン)から萩生田光一さんという奇跡的なリレーがなければ教育のICT化、GIGAスクール構想、子どもに一人一台PCを与えるような画期的な取り組みはできなかったであろうことは容易に想像できます。その前任時期の事務次官であった前川喜平さんが、今の教育政策議論についてこられないのも当然のこととも言えます。
 加計学園問題に端を発した一連の事件で前川喜平さんが「左翼の星」に祭り上げられて政権・自民党批判や文科省昔話で話題作りをするのも、彼なりの面従腹背の美学によるものも大きいのかもしれません。
◎「この前まで仲間と…」最側近の標的にされた前川喜平氏:朝日新聞デジタル(https://www.asahi.com/articles/ASP3L36DYP35UTFK030.html)
 ただ、前川さんがいくらかつての部下に責任を被せて文科省は駄目だと力説されたところで、たぶん門外漢の左翼しか喜ばないし、騙せないと思うんですよ。日本の霞が関の皆さんも、正当な批判もいい加減な暴論も反撃せずじっと耐えているけれど、みんな人間だし、思うこともありますから、また前川さんが古巣批判してると半笑いで見ているだけなのだろうと思います。
 実際、前川喜平さんが書かれた本は全部目を通していますが、教育行政批判においては特に、「確かに前川さんその通り!」と首肯する部分もある一方、その主張も正しければ正しいほどだいたいこの辺に集約をされるんですよね。
「なるほど、文科省は組織として問題ですね。でも、あなた、事務次官でしたよね」