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「SDGsの大嘘」にほとんどの一般人が騙されるワケ

誰も反対できない17のお題目に潜む「矛盾」
池田 清彦 : 生物学者
2022年06月22日
世はまさにSDGsブームといえますが、その一つひとつを科学的に検証していくと矛盾もあるようです


世はまさにSDGsブーム。「よりよい未来をつくるために」と掲げられ、政府やマスコミも手放しで礼賛する17の達成目標はどれもご立派なものばかりだが、その一つひとつを科学的に検証していくと、欺瞞と矛盾に満ちた「大嘘」であることがわかる。「人々の『いいことをしたい』という善意につけ込んで、騙(だま)しているという意味では、かなり悪質だ」と生物学者・池田清彦さんは指摘する。最新刊『SDGsの大嘘』から一部抜粋・再編集してお届けします。
ここでは「SDGs」という考え方が実は多くの矛盾を抱えていて、それを無理に実現したところで「素晴らしい未来」などまったく訪れないという「嘘」を暴いていくわけだが、SDGsというものがかなり胡散臭いということは、実はこの言葉自体によく表れている。
SDGsとは「Sustainable Development Goals」の略で、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されていることが多い。
ただ、冷静に考えてみると、かなり変な言葉だよね。「SustainableとDevelopment」というなんとなく知的な、プラスのイメージがある単語2つをGoalsにくっつけているので、納得しちゃっている人もいるのだろうけど、これは言葉のつくり方からすれば完全に破綻している。
キャッチフレーズの成り立ちに潜む矛盾
「Sustainable(持続可能)」であるということは、そこで「Development(開発)」は止まるのが普通だし、その逆に「Development」を続けている限りは、「Sustainable」という状態にはならない。「Sustainable」でありながら「Development」をずっと続けていくことなんて、あり得ないわけだ。
そんな水と油のように相反する言葉をくっつけて、あり得ない状態をさらりと言ってのけ、それを達成する目標まで掲げているというのがSDGsだ。矛盾しているどころか、もう支離滅裂な話だ。
私のようにへそ曲がりでなく、SDGsに好意的な人ならば、「Developmentの結果、Sustainable Goalsに到達して、そこでDevelopmentは終了する」という解釈になるのかもしれない。確かに、それならば理解できないこともないけど、本当にそんなことが実現可能なのかという胡散臭さは拭えない。
意味としておかしくならないのは、「Sustainable Goal」、もしくは、「Unsustainable Development」のどちらかである。グローバル・キャピタリズムが牽引している現代資本主義は基本的に後者で、これは長期的にみれば、いずれ破綻を免れない。だから意味が通じなくても、とにかくそれらしい言葉をくっつけて、SDGsなんて格好いいフレーズを造語したのだろう。
いずれにしても、このSDGsという言葉は何を意味しているのかわからない、矛盾だらけの支離滅裂な言葉である。「名は体を表す」ではないが、この怪しい響きというものが、一握りの人間の懐を肥やすばかりで、ほとんどの人を不幸にするSDGsの「嘘」の本質を表している。
誰も反対できない17のお題目
では次に、言葉の意味から破綻しているSDGsというものの、どのあたりに矛盾が潜んでいるのかということを具体的にみていこう。
現在、人口に膾炙(かいしゃ)しているSDGsは17の目標と169のターゲットを掲げている。17の目標を並べてみると、次のとおりである。
1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに 
5.ジェンダー平等を実現しよう 
6.安全な水とトイレを世界中に 
7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに 
8.働きがいも経済成長も 
9.産業と技術革新の基盤をつくろう 
10.人や国の不平等をなくそう 
11.住み続けられるまちづくりを 
12.つくる責任 つかう責任 
13.気候変動に具体的な対策を 
14.海の豊かさを守ろう 
15.陸の豊かさも守ろう 
16.平和と公正をすべての人に 
17.パートナーシップで目標を達成しよう

どの目標も、言われてみれば「そのとおり」という素晴らしい美辞麗句ばかりだ。異論を挟む余地なんてないものばかりである。ただ、みんなが反対できないという目標だからといって、それが「正しい」とは限らない。実際、ここに掲げられている目標の多くは、達成することがかなり難しい「絵に描いた餅」なのだ。
まず、「5.ジェンダー平等を実現しよう」「10.人や国の不平等をなくそう」「12.つくる責任 つかう責任」「16.平和と公正をすべての人に」「17.パートナーシップで目標を達成しよう」という5つの目標は、人や社会の「意識」の話だから、国際社会と国が啓発をして国民の意識を変えることでどうにかなるかもしれないけれど、全世界の人々の意識をそこまで劇的に変えられるとはとても思えない。
次に「3.すべての人に健康と福祉を」「4.質の高い教育をみんなに」「8.働きがいも経済成長も」「9.産業と技術革新の基盤をつくろう」「11.住み続けられるまちづくりを」という5つの目標は、インフラ整備や経済振興の話なので、投資をするお金があればできないこともない。ただ、国によって経済力には大きな差があるので、これを世界のすべてでやるというのも現実にはなかなか難しい。
胡散臭い「7つの目標」
これらの10の目標よりも実現が難しく、ほぼ間違いなく看板倒れになるに違いないのが、残りの7つの目標である。「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」というエネルギー、食料、水、生物多様性に関する目標は、私からすれば「いったいどうするつもりだよ?」と驚くほど、矛盾だらけ。かなり胡散臭い。
たとえば、「エネルギーをみんなに」っていうのは、もちろんお題目としては結構なことだけど、それを「クリーン」にするっていうのは、SDGsの文脈では化石燃料を燃やさないってことであるわけだから、エネルギーの価格はどんどん値上がりする。そうなると、開発途上国の人たちや貧しい人たちがエネルギーを買えないわけだ。「クリーンに」という目標は達成できても、「エネルギーをみんなに」は達成できないし、「貧困をなくそう」という目標とも大きく矛盾する。
だから、「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」という美しい目標はいいんだけど、じゃあ、その不可能なことを実現するためにはどうすればいいのかという深い話はほとんどされていない。
また、「海の豊かさを守ろう」なんていうのも現実的ではない。これはあんまり魚をとらないほうがいいって話になるけれど、現実は世界の漁獲高はすさまじい勢いで増大していて、このままいくと、あるときにまったく水産資源がとれないという事態が起きる恐れもあるが、今はそれを止めるルールもない。しかも、それを規制して漁獲量を減らしたら、「飢餓をゼロに」とか、「貧困をなくそう」という目標は達成できない。
素晴らしい話をどれだけ語られても、それがまったく実現できないおとぎ話ならば、それは「嘘」と変わらない。私がSDGsは嘘だという理由はここにある。
「人口を減らそう」という目標の欠落
そこに加えて、このSDGsというものが胡散臭いのは、17もの目標を並べているわりには、地球の持続可能性を考えるうえで、およそ欠かすことのできない目標が含まれておらず、その解決策にもまったく言及していないことだ。
それは人口問題である。
世界の人口は20世紀初頭には約16億5000万人だったが、この100年で爆発的に増えて現在は79億人まで膨れ上がっている。長期的には減少に転じるという話もあるが、発展途上国も多いので、しばらくは増え続けていくだろう。
この人口増加を抑えないで、SDGsが掲げる「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標を徹底的に追求していくと、人類は間違いなく〝地獄〟へ直行していく。
まず、原生林や原野といった自然生態系が消滅するだろう。そして、野生動植物の生物多様性が激減し、それでも間に合わないと、結局は個人間や国家間での、エネルギーや食料、水などのリソースの奪い合いが始まって、もはやSDGsどころの騒ぎではない「資源争奪戦争」がスタートする。
これを回避する究極の方途はただひとつしかない。SDGsふうに気取ったかたちでいえば、「みんなで協力して人口を減らそう」。
「人を減らせ」などと言うと、何やら過激で危険な思想の持ち主であるかのような誤解を与えるかもしれないが、人を殺そうという話ではなく、世界規模で出生率を下げようという話だ。科学的な視点で今の地球と人類の状況をみれば、エネルギーや食料、水などのリソースを、人や野生生物を含めた全世界の生物たちにどのように分配するかということが喫緊の課題になっているというのは明らかである。
エネルギーや食料、水などの資源の「上限」はすでに決まっていて、人を含めた地球上のすべての生物は、それをシェアして生きているにすぎないからだ。