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安倍総理の志は死なない!!

世界でもっとも危険なふたり ウクライナ戦争で習が堕ちた“友情の罠”

【プーチンと習近平・連載第1回】ロシアによるウクライナ侵攻は国際社会から強烈な批判を浴びたが、中国だけは依然としてロシアをかばい続けている。『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館刊)で習近平が中国トップに上りつめるまでの覇権争いを明らかにしたジャーナリスト・峯村健司氏による、世界を混乱に導く2人の独裁者の“個人的関係”に迫るスクープレポートである。(文中敬称略)
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トランプの一言に動揺
 米首都、ワシントン市内で5月7日、米諜報機関、中央情報局(CIA)長官、ウィリアム・バーンズがロシアによるウクライナ侵攻について講演した。ロシアと関係を深める中国の国家主席・習近平の心情の分析を披露した。
「ロシア軍によるウクライナへの残虐行為に関連付けられることによって中国の評判が落ちたうえ、戦争に伴って経済の不確実性が高まったことに動揺しているようだ。なぜなら、習近平が最も重視することが『予測可能性』だからだ」
 バーンズは言葉を選びながら、習の心の内を読み解いた。伝聞調で語っているが、単なる憶測ではないだろう。全世界に広がる数万人といわれるスパイ・ネットワークから得た情報に裏付けられたものだからだ。
 バーンズの「予測可能性」という言葉を聞いて、筆者は2017年4月に米南東部のリゾート地、フロリダ州パームビーチで取材したあるシーンが脳裏によみがえった。ドナルド・トランプの大統領就任後初めて、習が訪米して晩餐会を共にしていた時のことだ。デザートに差し掛かったところで、トランプがフォークを止め、こう語りかけた。
「たった今、巡航ミサイルを発射した。あなたに知ってほしかった」
 米海軍艦船2隻が発射した59発の巡航ミサイル「トマホーク」が、シリア中部の空軍基地を攻撃したことを告げた。シリアが化学兵器を使ったことに対する報復だった。
 同席していた米政府当局者によると、チョコレートケーキを食べていた習は、10秒間の沈黙の後、動揺した様子で後ろを振り返って、「彼は今、何て言った」と通訳に聞き返した。当時の習の様子について、トランプも米テレビのインタビューに次のように答えている。
「習氏は『子供に化学兵器を使う残忍な人には、ミサイルを使っても問題ない』と言った。怒らなかった。大丈夫だった」
 この習のとっさの回答は、中国政府の外交方針を考えると適切とは言えない。米軍によるミサイル攻撃は、「内政不干渉」「紛争の平和的解決」という原則に反するからだ。米政府当局者が、当時の習の様子を振り返る。
「大統領からの突然の通告に動揺しているのが伝わってきました。話しぶりは堂々としていますが、アドリブに弱く、慎重な性格の持ち主だと感じました」
 この証言は、冒頭のバーンズの分析と符合する。中国側は、トランプの就任当初、政治経験のない「素人大統領」と軽くみていたが、この会談を転機に警戒を強めた。SNSを通じて政策を発表したり、中国を批判したりする「予測不可能」なトランプに、習近平は手を焼き続けていた。
中国外交の原則から逸脱
 トランプとは正反対に、18年間にわたりロシア大統領を務めるウラジミール・プーチンは、習にとって最も「予測可能性」が高い指導者の一人といえよう。新型コロナの影響で対面による首脳外交を約2年間控えてきた習が、その再開相手としてプーチンを選んだのは、いわば必然だった。
 しかし、そのプーチンとの38回目となる会談が、習の「動揺」の引き金になるとは、予想もしなかっただろう。
 北京冬季五輪が開かれた2022年2月4日午後、北京の空港に到着したプーチンを乗せた車列は、北京市内にある迎賓館、釣魚台国賓館に入った。芳華苑のホールで待っていた習は笑顔でプーチンを出迎えると、会談を始めた。
「2014年、私はプーチン大統領の招待を受け、ソチ冬季五輪開会式に出席した。その時私たちは『8年後に北京で再会しよう』と誓った。今回あなたが来てくれたことで、私たちの『冬季五輪の約束』は実現したのだ。今回の再会が必ずや、中ロ関係に新たな活力となると信じている」
 こう習が切り出すと、プーチンは同意するように左手で机をたたきながら不敵な笑みを浮かべた。
「中国はロシアの最も重要な戦略的パートナーで、志を同じくする友人。21世紀の国際関係の手本だ。中国との協力を一層緊密にして、主権と領土を守ることを支持し合いたい」
 プーチンも、最大限の賛辞で中国を持ち上げた。2人は会談後、早めの夕食をとると、五輪開会式が開かれる国家体育場「鳥の巣」に向かった。2時間20分の開会式が終わり、日付が変わった2月5日未明、国営新華社通信社が、両首脳による共同声明を発表した。5000字を超える長文には、これまでの声明にはない奇異な表現があった。
「中国とロシアは、外部勢力が両国の共同の周辺地域の安全と安定を破壊することに反対する。外部勢力がいかなる口実を設けても、主権国家の内政に干渉することに反対する。NATO(北大西洋条約機構)の引き続きの拡張に反対し、冷戦時代のイデオロギーを放棄するよう呼びかける」
 声明では、米国に対する強い不信感と対抗意識がにじみ出ていた。そして、ロシアがウクライナ侵攻の口実にした「NATO拡大反対」について、中国が支持を表明したことは踏み込んだ判断だった。そのうえで、両国関係については次のような記述があった。
「中ロ関係は冷戦時代の軍事同盟にも勝る。中ロ友好に限界はなく、協力に禁じられた分野もない」
 この表現を聞き、筆者は強い違和感を覚えた。これまでの中国外交の原則から逸脱しているからだ。
 中国外交は1980年代から、鄧小平が唱えた「自主独立、非同盟」という考え方が基本方針となっている。NATOや日米などの軍事同盟について、中国政府は強く反対している。「友好に限界はない」という文言は、プーチンのウクライナ侵攻を見据えて、中国側が「支持」をしたとも受け止められる表現だ。
米国からの情報を横流し
 取材を進めていくと、中国がロシア側に協力していた可能性が浮上した。中国政治の動向を追う北京の米外交関係者が証言する。
「米政府は昨年末から、入手したロシア軍がウクライナに侵攻することを示す極秘情報を内々に中国政府に伝えていました。ロシアが侵攻をやめるように中国が説得することを期待してのことです。ところが中国側は、情報を『中ロ関係を引き離すための陰謀』と受け止めて信じなかったうえ、ロシア側に提供していたようです」
 米国に強い対抗心と警戒心を抱く習近平政権らしい対応といえよう。中国はなぜウクライナ問題で、外交の基本方針に背いたうえ、米国との関係をより悪化させてまで、ロシア支持に傾いたのか。米外交関係者が続ける。
「習近平氏の決断でしょう。これに対し、私が会った多くの中国の当局者や専門家は、今回の首脳会談と共同声明について『ロシア寄り過ぎる』と述べていました。習、プーチン両氏の親密な関係に遠慮して公言しないだけです」
 ではこの会談で、プーチンから習に約3週間後に控えた軍事作戦について、何らかの具体的な通知があったのだろうか。米ニューヨーク・タイムズは「中国側は、五輪閉会前に侵攻しないようロシア側に求めた」と報じている。これについて、先の米外交関係者は否定的な見方を示す。
「具体的な作戦のタイミングや中身について、両者の間でやりとりはなかったようです。そもそも情報機関出身のプーチン氏が、軍事作戦を他国に漏らすことはありえません。習近平氏は事前にはほとんど知らされていなかったため、戦争の情勢判断を誤った可能性があるとみています」
 筆者もこれまで数多くの首脳会談を取材してきた。どんなに関係が深い首脳同士でも、最高機密である戦争に関する情報を事前にやりとりすることはない。この分析は合理的といえよう。
 習が何よりもプーチンとの友情を優先させて最大限の協力をしたにもかかわらず、肝心の軍事行動に関する情報を知らされておらず、結果として梯子を外された──。
習と配下の間のずれ
 ウクライナ戦争までの両国のやりとりを見ていると、そのような構図が浮かんでくる。この証言を裏付ける事象が、戦争勃発後に一気に噴出する。
 ウクライナ戦争の前夜の2月23日。各国の情報機関は、ウクライナの首都・キーウ市内にある施設に注目していた。在ウクライナの中国大使館だ。中国が自国民の保護に動く時が、軍事侵攻のサインとみていたからだ。
 ウクライナは中国の広域経済圏構想「一帯一路」の最も重要な拠点で、キーウには中国から「一帯一路」沿線国を結ぶ国際貨物列車「中欧班列」の終着駅があり、約6000人の中国人が在留している。半ば国策として派遣された中国人労働者も少なくない。
 だが、中国大使館は動かなかった。退避のチャーター機派遣を発表したのは、ロシア軍による侵攻翌日の2月25日になってのことだ。実際に退避が始まったのは2月28日で、米欧よりも半月以上も遅れた。こうした中国政府の対応の遅れに対し、中国のネット上では批判の声が上がった。
 中ロ両国の外交当局の間でも不協和音が出てくる。習は2月25日、プーチンと電話会談をした。中国外務省の発表によれば、ウクライナ侵攻について、習が「ロシアがウクライナと交渉を通じて問題解決することを支持する」と、プーチンに対して求めたことが記されている。ところがその3日後の28日になって、駐中国ロシア大使館は会談での習近平の発言の一部を付け加えて発表した。
「ロシアの指導者が現在の危機状況下で取った行動を尊重する」
 ロシアの侵攻に対し、習が理解を示すような発言といえる。両国の発表の違いについて、中国外務省関係者が舞台裏を解説する。
「習主席の発言は事実だ。しかし、中国政府内で議論した結果、発表文から削除することにした。ロシアの同盟国であるベラルーシが、欧米諸国による制裁を受けた二の舞を避けるためだ」
 ロシア軍の侵攻拠点の一つとなっているベラルーシに対して、欧米諸国はハイテク製品の輸出規制などを課した。ベラルーシとはけた違いに深く国際的な経済ネットワークや供給網に組み込まれている中国が制裁対象となれば、被害は計り知れない。中国外務省がトップの発言を削除したのは、危機感の表われといえよう。
 首脳会談と並行して行なわれた中ロ外相による電話会談で、中国外相の王毅はロシアの軍事侵攻について、ロシア外相のセルゲイ・ラブロフにこう釘を刺した。
「中国は一貫して各国の主権と領土保全を尊重している。対話と交渉を通じて持続可能な欧州の安全メカニズムを最終的に形成すべきだ」
 この会談の中身を知る中国外務省関係者の一人は、王毅発言の真意について説明する。
「ロシアによる軍事行動を暗に批判したものです。中国外交の基本原則である『内政不干渉』に反する行為であり、いくら両首脳同士の関係が親密だからといって、支持できるものではありません」
 習とその配下の中国政府当局者との間のずれが生じつつあるのは間違いない。
 こうした不協和音を打ち消すように、習は6月15日、プーチンと再び電話会談をした。この日は習の誕生日。プーチンからの祝辞もそこそこにウクライナ情勢を協議。軍事交流の強化などで合意した。そのうえで習はこう強調した。
「国際秩序とグローバルガバナンスをより正しく合理的な方向に発展させよう。そして核心的利益と重大な関心事に関わる問題を互いに支持しよう」
2人の個人的な関係
 筆者が北京で特派員をしていた2000年代後半、中国とロシアの関係は友好的ではあったが、それほど密接なものとはいえなかった。むしろ北京では、ロシア研究者や専門家は影響力があるとはいえず、政府内でもロシア政策の重要性は高いとはいえなかった。
 ところが2010年代に入ると、両政府間の要人の往来は増え、経済的な結びつきも強くなった。次第に軍事的な結びつきへと広がり、両軍による共同演習は盛んになり、ロシアから地対空ミサイルや戦闘機の中国への売却も急増した。両国はさまざまな分野で関係が深まり、2019年には「全面的戦略協力パートナーシップ」が結ばれるほどになった。
 両国関係が加速度的に緊密になったのは、習がトップになってからだ。習とプーチンという2人の個人的な関係が、両国関係を引っ張ってきたといえよう。
 異常ともいえる2人の親密な関係はいつ、どのようにして築かれたのだろうか。その起源は習近平が中国トップに就任した2013年3月にさかのぼる。初外遊先として選んだのがロシア。しかも国家主席になったわずか1週間後のことだ。2013年3月22日、モスクワの大統領府に入った習近平はプーチンと会うと、満面の笑みで握手をして意外な言葉を発した。
(第2回につづく)
【プロフィール】
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年長野県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、朝日新聞入社。北京・ワシントン特派員を計9年間務める。「LINE個人情報管理問題のスクープ」で2021年度新聞協会賞受賞。中国軍の空母建造計画のスクープで「ボーン・上田記念国際記者賞」(2010年度)受賞。2022年4月に退社後は青山学院大学客員教授などに就任。著書に『宿命 習近平闘争秘史』(文春文庫)、『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)など。