Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

【過去記事】コロナが来て分かった、日本社会が抱える3つの課題

(朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)
 ようやくと言うべきでしょう。新型コロナの新規感染者数が減ってきました。東京では4月には新規感染者数が200人/日を超える時期もありましたが、5月23日にはついに2人となりました。昨日24日は14人と再び2桁になるなどまだ完全終息とはいきませんが、本日5月25日、緊急事態宣言が首都圏でも解除されることがほぼ確実視されており、とりあえず大きなヤマは越えたのかなと思います。
 そこで改めて日本全体のコロナへの対応状況を簡単に見てみましょう。主な先進諸国と比較してみると、1つの指標となっている「10万人あたり死者数」などで、日本は0.5人台(5月半ば時点)と、かなりよい数字を出しています(米国は30人弱で、スペイン・イタリア・イギリスは軒並み50人超。ドイツでも10人弱)。台湾・韓国など日本よりもよい数字の国・地域もありますが、死者を抑え込みつつ回復者を増やすという日本のスタンスは、よい結果に結びついたと評価してもよいのではないかと思うのです。
うまい具合にバランスをとった日本の「曖昧な戦略」
 では日本の対応はどこがよかったのでしょうか。私は政府や自治体の対応が、現在の日本が有している能力を適切に理解した上で、日本の社会にマッチした形で行われた点にあるのではないかと思います。別の言い方をすれば、非常にバランスをとった対応策だったのです。
「都市をロックダウンします」という中国が武漢で取ったような強権的な方法や、逆に「集団免疫の考えに基づき、一切の活動自粛を命令も要請もしません」というスウェーデンのような国民に全てを委ねるような方法のように、どちらかに振り切った極端な戦略は分かりやすいかもしれませんが、日本はどちらの方法も取りませんでした。「曖昧な戦略」と言ってもよいかも知れませんが、日本の実情に合った、非常にバランスの取れた戦略を取ったのです。
 もちろん、安倍政権・政府は「こういう戦略だ」とはっきり言明し、国民とのコミュニケーションをもっときちんと取っても良かったとは思いますし、同時に、国際的に、きちんと戦略の説明をしなければならないとは思います。国際的には、「対応はダメダメなのに、死者数が少ない謎の国日本」みたいなことになっています。
 ただ、そうした対応・戦略を国民や国際社会に説明するためにも、そのエッセンスを整理する必要があります。その肝が「バランスの維持」なのです。
 では、そのバランスの本質とは何か。私なりに3つに分けて分析してみました。
 1つは、PCR検査数と医療機関のキャパシティのバランスです。医療機関のキャパシティを見定めながら、症状の重い方を中心にPCR検査を実施しました。その手法は一部から批判も浴びていますが、これは極めてバランスのとれた方法だったのではないかと感じています。
 当たり前ですが、検査数をどんどん増やしていくと、陽性判定者も増えます。陽性と判定された患者は医療機関は極力受け入れないといけない。「無症状だけど陽性です」という方であっても、少なくとも極力感染していない人から離れて療養してもらわないといけませんから、病院か、自治体が借り上げたホテルなどで受け入れてもらうことになります。そういう体制がすぐにでも十分整えられるというのなら、検査をどんどん増やすべきだったでしょう。
 しかし、そうでない時点では、より重い症状の人から検査を受けてもらい、陽性であれば限られた医療施設や隔離施設に入ってもらう、そして、単に心配なだけの無症状の人は検査を受けるという意味では後回し、という方法(トリアージ)を取るしかありません。
 日本ではそこのバランス重視の考え方がブレなかったので、ギリギリで医療崩壊を免れることができたのではないでしょうか。どんどん検査数だけ増やして、症状が軽い人も重い人も片っ端から入院等をしてもらう、というスタンスだったら、あちこちの病院でキャパシティを超える事態が起き、各地で医療崩壊が起こったと思います。
 今回、そうした最悪の事態はなんとか逃れることができたように思います。それはやはり検査数と医療機関のキャパシティのバランスのとり方が良かったからでしょう。
「要請」中心の緊急事態宣言で民主主義を守った
 2つ目の特筆すべきバランスは、強権的な手法と民主主義的な手法のバランスです。
 日本の緊急事態宣言は、いわば「張子の虎」です。大仰な名前ですが、実は「要請」が中心で、あまり強制力を伴わないものです。そうした「張子の虎」の緊急事態宣言を使い、国民に「自粛」を要請したのです。それは、あくまで、「要請」に対して「自粛」をするという、国民の「意思」を尊重した形式であり、裏から言えば「民主主義を守った」ということでもありました。
 日本では強権的に物事を進めるための法整備がなされていないという事情もありますが(憲法に非常事態条項がないなど)、仮に法的に可能だからといって、何かあったときに政府や自治体が強権的、独裁的に方針を決定して強制的に国民を従わせる、という手法をやたらと取ってしまうと、私たちがこれまで作り上げて来た社会が一気に壊れてしまう可能性があります。そうした手法は、本来は民主主義を尊ぶ日本社会とは馴染まないものであるにも関わらず、国民の恐怖心を煽る報道ばかりしていたマスコミは、こぞって、「早く強権的な措置を」という論調で報道をしていました。が、政府はそれには乗っかりませんでした。
 結果、政府や自治体も、強制的に国民・市民を従わせる、という手法ではなく、国民みんなで情報を共有してもらいつつ、それぞれに自主的に動いてもらう、という手法をとり、民主主義を守ったのです。
 実際、この強制力を伴わない緊急事態宣言によって、日本人は自主的に要請に協力してこの数十日間を過ごしています。海外のニュースで伝えられるような、「封鎖解除デモ」もありませんし、必要最低限の外出をするときにはマスクをし、3密を避けるような行動様式を取っています。強制力を持たない緊急事態宣言は、実は日本の社会のありかたと非常に親和性があったというべきかも知れません。
「まずまず」の成果上げたがこのままでよいわけではない
 3つ目に維持したバランスとは、命と経済のバランスです。いわゆる「命も経済も」です。企業や事業者には営業自粛を、国民には「不要不急の外出自粛」、「3密の回避」などを呼びかけ、<命を守る>という面での対策をしました。
 その一方で、都市封鎖や、公共交通機関を止めるような要請はしませんでした。鉄道やバス、航空便などがストップさせるロックダウン状態にしてしまうと、経済が完全に干上がっていまいます。今回の営業自粛によって、外食産業やイベント事業などでは売り上げが立たなくなり本当に苦しい状況に追い込まれている方々もいますが、それでも、なんとか、社会全体が窒息しない程度のギリギリの経済活動だけは維持できるようにしていました。
 さらに貯蓄好きの国民性を反映してか、もともと日本の会社は、大企業を中心に比較的内部留保が豊富です。この内部留保の厚さについては、少し前までは「日本の企業は資本効率が悪い。中でため込むのではなく、どんどん投資に回して利益を生み出すべきだ」とさんざん批判されていましたが、この「キャッシュ・イズ・キング」の非常事態に際しては、「危機に対する耐久性が高い」とポジティブに評価されるようにもなっています。
 そういう条件も揃っていたことから、日本は「命も経済も」というバランスが非常にうまく取れたと言えるのではないでしょうか。
 ただ、それでは日本の社会構造はこのままでいいのかというと、決してそうではありません。
 今回(第一波)は、おそらく「神風」もあって(強毒性がそこまで強くなかったり、あるいは、もしかすると日本人のBCG接種が効くなどして)、いわば「竹やり」だけで、凌ぐことができました。ただ、いずれ来ると言われている第二波はより強毒性が強くなる可能性もゼロではなく、そうはいかないかもしれません。
 そもそも、この20年あまりでSARSやMERSなどのコロナ型の感染症が何度となくアジアで広がっていますが、今後、より強毒性の強い感染症が襲って来たり、想像したくありませんが、生物兵器を使ったバイオテロのような事態だってないとも限りません。韓国や台湾の対応が国際的に評価され、SARSやMERSの感染拡大の際の経験が活きたとも言われていますが、今回の日本も、次に備える大きな課題が見つかったとも言えます。逆に言えば、新規の感染者数が減ってきている今こそが、本質的な備えをするチャンスなのではないでしょうか。
社会が痛感した、「緊急事態条項」を憲法に盛り込む必要性
 では今回のコロナ(第一波)によって突き付けられた日本の課題とは何でしょうか?
 1つ目の課題は、検査数と隔離施設(病院・軽症者対応施設)数の十分な担保です。不安を感じた時に、いつでも検査が受けられる態勢を整え、万が一、陽性だった場合には感染状況に応じて病院なり隔離施設に収容してもらえるような準備を早急に考えておく必要があります。
 これは後述するように経済活動を本格化させるためにも、また、コロナの第二波をはじめ、いつ、また、より強毒性の強い感染症が襲ってこないとも限りませんので、その対応のためにも必要不可欠です。
 アメリカのジョージア州では、知事が共和党ということもあり、経済活動再開に積極的でした。そこでいち早く、経済活動再開に踏み切り、様々な規制を外して、理髪店やネイルサロン、スポーツジムなども含めて営業を認めました。ところが実際に営業を再開したそうした店の数や、そこを訪れるお客さんの数は、想像していたよりもずっと少なかったそうです。
 なぜなら、お客さんだってまだ本当にコロナが終息したとは思っていないし、そもそもどんな客が来るか分からない状態では、店側だって怖くて営業再開ができません。であれば、感染リスクは極力抑えたい――そういう考えが、以前のような消費活動に戻ることを躊躇わせているというのです。
 要するに、検査がいつでも受けられ、町を普通に歩いている人は、基本的に抗体保持者か陰性の人という状況、そして、検査で陽性の人は病院や隔離施設で十分な治療を受けられるという状態にしておかないと、コロナに感染していない人も安心して従来のような経済活動を営むことができないのです。
 そして、日本にとって不気味な動きとしては、武漢の全市民にPCR検査を施すという報道もありましたが、世界各国は、「PCR検査等で陰性と認められた人」「抗体保持者」しか入国させない、という方向に動きつつあります。仮にピンピンしていて、何の自覚症状もなくても、こうした「証明書」を持っていなければ、外国に出張してビジネスをすることがやりにくくなるということです。国際ルールが、正義・正論とは別のところで決まってしまうことは良くあることであり、注意が必要です。
 逆に言うなら、コロナの新規感染者数が落ち着いてきたからといって、検査体制の整備は後回しにしてもいい、と考えるのではなく、国民が安心して生活し、経済活動を活発にするためにも、検査体制と医療側の受け入れ態勢を充実させていかなければならないのです。
 2つ目の課題は、緊急事態に対応できるような政府の仕組みづくりです。象徴的には憲法を改正して「緊急事態条項」を入れ込むということになります。
 今回、新型コロナウイルスの毒性はそれほど強いものではありませんでしたが、もしも将来、「感染したら即死」のような強毒性を持った感染症が広がったら、社会の混乱は今回のような程度では済みません。生物・化学兵器が使われる事態などの戦争・テロへの備えも考えておく必要があります。最悪の事態の際には、政府の権限で極端に私権を制限するなどの仕組みが不可欠です。そういう仕組みが整備されていないと、予想外の感染症や戦争、天災などが起きた時に、日本社会がフリーズしてしまう可能性がある。これが今回のコロナではっきりわかったことだと思います。
 そういう最悪の事態も起こり得るんだということを肝に銘じたうえで、万が一の時には政府が強制力を持って対応できる仕組みを作り上げておくことが不可欠だと思います。できれば「抜かずの宝刀」で終わってほしいわけですが、万が一の備えとしてとりあえず「宝刀」は用意しておかなければならないのです。
日本の産業構造の旧態依然さも浮き彫りに
 3つ目の課題は景気対策・経済構造の改革です。コロナの影響により、中長期的に日本経済はかなり落ち込むことになることがほぼ確実ですが、深刻なのは日本の打撃の大きさです。新聞報道などによれば、先進国の1~3月の企業の売り上げ減を見ると、日本は最悪で、8割減になりそうということです。それに対してアメリカは3~4割、ヨーロッパは7割程度です。
(参考)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58763990S0A500C2MM8000/
 なぜこうした差が出てくるのかといえば、日本では、他国に比して新しい産業が育っていないからです。
 例えばアメリカは、従来型産業を中心にコロナ禍での経済ショックは小さくはないのですが、そうした中でもAmazonやZoomやNetflixなど、危機下での「巣篭り消費」に対応したサービスを提供できるIT系企業が逆に急成長しています。日本にはそうした企業があまりありません。目立つのは、「あつまれ どうぶつの森」がヒットしている任天堂くらいでしょうか。
 そう考えると、短期的な景気対策はもちろん、アフターコロナ・ウィズコロナの社会情勢に適応したテクノロジー対応、経済構造の改革を積極的に進めていかなければなりません。コロナ危機前から、例えばSociety5.0などの標語を掲げて施策を進めるなど、日本政府も手をこまねいていたわけでありませんが、残念ながら、諸外国に比べて、テクノロジー導入のスピードは遅く、コロナ危機の痛みも相対的に軽いので、益々遅れを取りそうな気配すらあります。
 そうした中、目に見える形での起爆剤の一つになりうるのが、前々回に本欄で書いた「新・首都機能移転論」です。最新のテクノロジーを思いきり投入した新都市を作ってしまう。今国会で審議されている「スーパーシティ法案」とも親和的です。そうした起爆剤からさらに新しい技術、サービスの誕生・成長を促していく。そういう仕組みづくりが必要になります。もちろん、需要創出という意味での景気対策にもなります。
(参考記事)コロナ危機に大胆な経済対策を!新・首都機能移転論
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59902
 コロナは日本の社会的な課題を浮き彫りにしました。感染のピークが過ぎた今こそが、その課題解消に取り組む好機です。アフターコロナ・ウィズコロナの時代に日本がよい社会を築いていけるかどうか、まさにこれからの時期の取り組み方にかかっていると言えるのです。