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「このままでは中国は滅ぶ!」中国共産党が憂う、対人恐怖症で自宅に引きこもる若者たち

日本の引きこもりは115.4万人(平成30年度調査内閣府推計)いるといわれますが、隣国中国でも若者の引きこもりが社会問題となっています。これまで中国人は社交的と言われてきましたが、スマホの急速な普及もあり、対人恐怖症になり、自宅にこもりっきりの若者が増えているのです。
新語・隠語・流行語で現代中国を読み解く現代新書の新刊『ふしぎな中国』の著者・近藤大介氏が、あまり知られることのない、中国の若者気質をレポートします。
社交を恐れる中国の若者たち
「社恐」という中国語がある。「会社が恐い」という意味ではない。実は、ここに書かれた「社」は、「会社」の意ではなくて「社交」の略。下の「恐」は、「恐懼症」(恐怖症)のことである。合わせて「社交恐怖症」。すなわち、他人と交わるのが恐くて、引きこもってしまう若者たちのことを指す。
中国を支配する共産党中央委員会に、機関紙の『人民日報』と並ぶ、宣伝部機関紙の『光明日報』という新聞がある。普段は共産党の方針などお堅い内容を掲載しているが、2020年8月30日付同紙が掲載した若者に関する記事が、中国社会で大反響を巻き起こした。
それは、「社恐」に関するものだった。今どきの中国の若者たちに、「あなたにもいわゆる『社恐』がありますか?」とアンケートを取ったところ、全国の2532人から回答があった。問題はその結果で、以下の通りだ。
「ある。内心では一切の社交活動を回避している」863人
「少しある。対面での交流よりも、オンラインでの意思疎通の方が、より好きである」710人
「『社恐』というものはないが、あえて気を入れて他人と交際しようとは思わない」890人
「ない。自分は他人とうまく交際をしている」69人
このように、「ある」と「少しある」を合わせると、回答者全体の62%にも達した。逆に、「他人とうまく交際している」と答えた若者は、全体のわずか2・7%しかいなかったのである。
この衝撃的な結果を受けて、社会学者から教師、メディアまで含めて、大論争になった。やや大仰に言えば、「このままでは中国が滅んでしまう」と、大人たちが危機感を抱いたのだ。
この記事を読んで衝撃を受けたのは、私も同様だった。1980年代末から1990年代にかけて、中国人と「邂逅した」私は、むしろ中国人が社交的すぎることに戸惑う日々だったからだ。
リスクヘッジのための友人の輪
例えば、日本の夜の『NHKニュース7』にあたるCCTV(中国中央電視台)の『新聞聯播』(夜7時~7時半)は当時、男性アナウンサーの「友人たち、こんばんは」(朋友們、晩上好!)という挨拶から始まっていた。会ったこともないアナウンサーの口から、毎晩この一言を聞くたびに、ドキリとしたものだ。この挨拶は、現在でも朝と昼のニュースでは聞くことがある。
また、地方へ旅行に行くと、田舎のホテルでは、中国人の宿泊客たちがドアを開けっぱなしにしていることが多かった。ある時、私が中年男性にその理由を聞くと、「単身で出張に来ていて、寂しいからいつ誰が話し相手に入って来てもいいように開けてある」と言うのだ。「一回生、両回熟、三回成朋友」(1回目に関係が生まれ、2回目に関係が熟し、3回目に友達になる)という中国語の慣用句も教えてもらった。
彼と談笑しながら、私が「日本では男性の同僚と二人で地方出張に行く時でも、宿泊する部屋は必ず別々にする。『親しき中にも礼儀あり』というものだ」と説明すると、きょとんとした。そう言えば、私が1995年から翌年にかけて留学した北京大学も、全寮制の8人部屋で、プライバシーなど無きに等しかった。
だがそのうち、中国人がかくも社交好きなのは、中国社会がこの上なくハイリスクだからということが分かってきた。
中国社会は、暮らしてみると分かるが、まるで下りのエレベーターに乗って生活しているようである。日本ではじっとしていると、同じ場所にとどまるが、中国ではじっとしていると周囲に蹴落とされていく。そのため、常にじたばたと手足をもがいていないと、現状をキープすることすらおぼつかない。
日本は周囲を海に囲まれた中に、ほぼ単一民族が暮らしているから、のほほんとしていられる。ところが中国は、日本の約26倍も国土がある大陸国家で、ロシアやインド、北朝鮮など14ヵ国もの油断も隙もない国々に囲まれている。国内では、言語や宗教、食事や生活習慣などが異なる56もの民族が、14億4349万7378人(2020年11月1日現在の人口調査)も共生している。
そこでは日本とは比較にならない競争が展開されていて、いつ何時、どこから誰に攻撃されるか知れないのである。かつ求められるのは常に結果で、過程はあまり問われない。そのため油断も隙もない社会が形成されていて、悲しいかな「騙した者を叱る」より「騙された者を嗤う」ような風潮がある。
そうかといって、多くの人々は政府を信用していない。地域社会や所属する会社も信用していない。首都・北京では2021年の離婚率(結婚件数に対する離婚件数の割合)が57.26%に達したほどなので、ひょっとしたら家族さえ信用ならない。日本では「オシドリ夫婦」と言うが、中国では「オシドリも大難に遭うと各自で飛び立つ」(夫婦本是同林鳥、大難臨頭各自飛)と言う。
そうなると、中国人は一体誰を信用して生きているのか?それは、「この人は信用できる」と自分の五感で判断した友人なのだ。そうした友人の友人も「準友人」とし、「友人の輪」を広げていくのである。「友人が一人増えれば、道が一つ開ける」(多一個朋友、多一条路)という諺もあるほどだ。
ハイリスク社会の疲れる社交
ところが、それほど社交的だった中国人が、いまや日本の若者たち以上に、「社恐」に変身してしまったのである。
その理由としては、第一に、「八〇後」(1980年代生まれ)以降は、ほぼすべてが「一人っ子」で、物心がついた時から孤独に慣れていることが挙げられる。中国社会は共働きが当たり前なので、いわゆる「カギッ子世代」なのだ。
第二に、スマホが普及したため、自宅でスマホで遊ぶ時間が急増したことである。「最高の友はスマホ」というわけだ。
だが私は、もう一つ理由があると思う。それは前述のように、中国社会が様々な意味で、ハイリスクな社会であることだ。油断も隙もない社会が形成されているため、外出して誰かと何かをしようとすると、ひどく疲れるのだ。
というわけで、若い「社恐人」たちは、まるでカタツムリのように、自宅という殻に閉じこもっているのである。
ただ、「病友」と呼ぶ同じ「社恐人」同士は、SNSを通して繋がっていたりするので、完全に孤独というわけでもない。また、情報は基本的にスマホ経由で入手できるので、昔のように「友人の輪」が必須というわけでもない。
それでもこの先、日本の「八〇五〇」(80代の親が50代の「引きこもり」の子供の面倒を見る)のような社会が出現するのは必須だ。しかも日本の10倍以上の規模で。
ちなみに、日本語の「引きこもり」は、「家里蹲」という新語を用いて訳している。「家里」は「家の中」、「蹲」はでんと座って動かない状態を指す。日本語の流行語の翻訳ではよくあるケースだが、台湾人が訳したものを、そのまま受け入れた。
「社恐」の類語に、「社死」がある。一層おどろおどろしげな言葉だが、2020年頃にSNS上で流行語になった時は、「社会性(社会的)死亡」の略だった。
例えば、職場である青年が同僚の女性にプロポーズした。だが女性にはまったくその気がないばかりか、「あの男にプロポーズされちゃったのよ」と職場で吹聴して回った。そんな時、青年が「我好社死啊!」(オレもう社会的に死んだよ)とボヤくのだ。
だが2022年4月と5月、中国最大の経済都市・上海の市民たちが、コロナ禍を理由に「封城」(ロックダウン)された時も、彼らは連日、「社死」を発信し続けた。2500万人が強制的に「社死」に遭ったという意味で、こちらはより深刻な事態だった。


これで世界も少しは平和になる。