Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

『安倍晋三回顧録』で明かされた安倍政権と財務省の戦い きっかけとなった菅直人内閣の復興増税

 2月8日に発売されるやいなや、国内外で反響を呼んでいる『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)。読み進めると、現政権との違いが浮き彫りになってくる。安倍元首相はいかにして財務省と戦ってきたのか──。【全3回の第1回】

財務省との戦いもあった安倍政権(写真/AFP=時事)© NEWSポストセブン 提供

官僚の「倒閣運動」
 回顧録は、故・安倍元首相が橋本五郎・読売新聞特別編集委員のインタビューに答えて第1次政権から再登板、コロナ禍で退陣するまでの憲政史上最長にわたる政権の内政、外交の舞台裏を赤裸々に証言したものだ。
〈一国のトップとしての判断や行動の有り様を学べました〉
 高市早苗・経済安保相は発売当日、ツイッターにそう書き込んだが、回顧録を読んだ岸田首相は内心、穏やかではいられないはずだ。安倍氏の証言には、岸田首相が進めようとする政治に対する強烈な批判が込められているからである。
 安倍回顧録を貫いているのは、足かけ10年にわたる長期政権の間、不断に続いてきた財務省との戦いだ。時の政権に増税させることを最優先の行動原理とする「霞が関のチャンピオン」(安倍氏)である財務省と、その応援団である自民党の財政再建派議員たち。歴代政権はその力に屈してきたと安倍氏は証言する。回顧録から辿っていこう。
〈小泉内閣も財務省主導の政権でした。消費税は増税しないと公約しましたが、代わりに、歳出カットを大幅に進めることにしたわけです。
 私も、第1次内閣の時は、財務官僚の言うことを結構尊重していました。でも、第2次内閣になって、彼らの言う通りにやる必要はないと考えるようになりました。だって、デフレ下における増税は、政策として間違っている〉(以下、〈 〉内はすべて『安倍晋三回顧録』からの引用)
 安倍氏を財務省との戦いに向かわせたのは、第1次内閣時代の苦い経験だ。小泉内閣の後を継ぎ、52歳で首相に就任した安倍氏は、憲法改正手続きに必要な国民投票法制定や防衛庁の省昇格など思いきった政策を推進したが、官僚の天下りを規制する公務員改革に取り組んだことで、霞が関の“虎の尾”を踏み、官僚の倒閣運動で追い詰められていった。
 安倍ブレーンの1人で、財務官僚出身ながら公務員改革に取り組んだ高橋洋一・嘉悦大学教授がこう振り返る。
「第1次安倍内閣の公務員改革の担当大臣は渡辺喜美さんで、私は政策スタッフとして官邸にいました。改革を進めると財務省をリーダーとして霞が関全体が反発し、もの凄い監視を受けた。事務次官のヒアリングを行なう予定なのに、約束の時間に来ないとか、いろいろと邪魔をしてくる。渡辺さんは『倒閣運動』と言っていた。
 難儀したのが国会答弁の差し替えです。官邸には財務省などの秘書官がいるでしょう。これが答弁書の細かいところを書き換えてしまう。一般の人だとわからないような仕掛け、いわゆる官庁文学の文言を入れ替えたり、語尾を変えたりすることで改革を骨抜きにしようとする。私は『こういう質問が来た時の答弁はこれです』とそれをいちいち直すんです。私が国会に行けない時には渡辺大臣に正しい答弁書を託して安倍総理に伝えたこともありました」
 第1次安倍内閣はわずか1年で退陣、その2年後に自民党は下野し、民主党に政権交代した。安倍氏が財務省との対決方針を固めたのは、この民主党政権時代だった。
財務省の「注射」
 きっかけは東日本大震災の際、時の菅直人内閣が真っ先に復興増税を決めたことだ。
〈民主党政権の間違いは数多いが、決定的なのは、東日本大震災後の増税だと思います。震災のダメージがあるのに、増税するというのは、明らかに間違っている〉
 安倍氏はそういう思いから、浜田宏一・イェール大名誉教授、本田悦朗・静岡県立大教授、高橋氏らのブレーンと何度も議論したと語り、〈日銀の金融政策や財務省の増税路線が間違っていると確信していく。そこでアベノミクスの骨格が固まってくる〉と証言している。
 そうしたなか、民主党政権は復興増税に続いて、「社会保障と税の一体改革」を掲げて消費税増税を推進した。
〈時の政権に、核となる政策がないと、財務省が近づいてきて、政権もどっぷりと頼ってしまう。菅直人首相は、消費増税をして景気を良くする、といった訳の分からない論理を展開しました。民主党政権は、あえて痛みを伴う政策を主張することが、格好いいと酔いしれていた。財務官僚の注射がそれだけ効いていたということです〉
 民主党政権は増税を批判されて、2012年の総選挙で大敗。自民党が政権を奪還し、安倍氏は首相に返り咲いた。
 だが、第2次安倍内閣は民主党政権時代に民主・自民・公明の3党合意で決定した消費増税の実行役を担わされることになった。
 財務省との再戦は避けられない。前出の高橋氏が語る。
「財務省を中心とする霞が関による倒閣運動、妨害については安倍さんもその後、いろいろ自覚されることがあって、第2次内閣の時には、『こんなことでエネルギーを取られたらたまらない』とおっしゃっていました。『政権の中でこれをやられたらチームにならない』とも。そこで財務省を弱体化させるために、菅(義偉)官房長官と杉田(和博)官房副長官が内閣人事局で人事を司り、財務省を牽制しました」