Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

『民族の防波堤』

三ヶ根には千島列島の北の端、占守島守備隊の慰霊碑「士魂の碑」があります。


池田末男大佐は愛知県豊橋市のご出身であり、三ヶ根山に部隊の立派な碑があります。士魂の碑です。十一連隊の11をあわせると士になるのでこの隊を士魂隊と名付けたと聞いています。




士魂の碑の説明書きにはこのように記載があります。




戦車第十一連隊士魂の碑




戦車隊の神様 池田末男大佐率いる士魂部隊への感謝




戦車第十一連隊(士魂部隊)の連隊長として北千島占守島でソ連(ロシア)軍を打ち破った池田末男大佐は、明治三十三年地元豊橋で生まれた。旧制豊橋中学(現時習館高校)を卒業。陸士第34期。


昭和十六年、八月陸軍中佐に昇進、昭和十九年七月、満州陸軍学校校長代理に就任。学徒兵として陸軍学校で薫陶を受けた作家司馬遼太郎氏は大佐へ寄せる篤き思いを「風塵抄」の中で披瀝している。




昭和二十年、一月、戦車第十一連隊長として占守島に着任。同年六月、陸軍大佐に昇進。厳寒の占守島でも変わらず自分の下着の洗濯を当番兵にさせず、すべて、自分で洗濯するなど、常に部下を気遣われたという。部下思いの大佐への、将兵たちの信望は非常に厚いものがあった。


終戦三日後の八月十八日未明、隊員たちが武装解除への準備を進め、故郷帰還への喜びを語り合っていたその時、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連は、無法にも島に侵攻、大挙上陸してきた。侵攻してきた部隊は欧州東部戦線でドイツを打ち破ってきた歴戦の部隊であった。


島の要御、四嶺山に雲集したソ連軍を前に、その殲滅を決意した池田大佐は部下を集めて問うた。


「諸氏は赤穂浪士となって、恥を忍んで将来に仇を報ぜんとするか、或いは、白虎隊となり、玉砕をもって『民族の防波堤』となって後世に問わんとするか。赤穂浪士たらんとするものは一歩前へ出よ。白虎隊とならんとする者は手を挙げよ」と。


この言葉が終わるや、歓声と共に皆の手が挙がったという。


『池田連隊はこれより敵中に突入せんとす。祖国の弥栄を祈る』




師団司令部に打電するや、池田大佐を先頭に士魂部隊の戦車群は四嶺山山麓のソ連軍めがけて殺到した。日の丸の鉢巻に日章旗を片手に掲げ、戦車の砲塔にまたがって先頭を進む白いワイシャツの池田大佐の姿に日本軍の将兵皆感激したと伝えられている。


士魂部隊を始めとする日本軍守備隊は厳しい戦闘の末、ついに上陸軍を撃退した。


ソ連軍の死傷者は数千名に上り、損害は極めて多きかった。


ソ連共産党機関紙イズベスチアは社説で「占守島の戦いは満州・朝鮮における戦闘よりはるかに損害が甚大であった。八月十八日はソ連人民の悲しみのひである。」と述べている。




一方池田大佐(戦死後少将)はじめ、士魂部隊の精鋭九十六名の勇士達も壮絶な戦死を遂げた。


ソ連はこの侵攻にあたり、終戦直後の日本軍の隙を突いて占守島を踏み台に全千島列島と北海道本島まで一気に占領しようとの野望を抱いていた事が戦後明らかになった。


しかし、占守島で手痛い打撃を被ったソ連はその野望を断念せざるをえなかった。


歴史に「もし」があるとするならば、もし日本軍が占守島の戦闘で敗れていたり、戦闘をせずにソ連の軍門に下っていたら、北海道はソ連に分断占領され、ドイツや朝鮮半島と同様日本国民が途端の苦しみを味わうことになっていたであろう。


戦後七十年近くを経て顧みるに、大戦が終結した昭和二十年八月十五日、その三日後にソ連によってなされた無法な侵攻に対し、自らの命を顧みず、勇躍敵を撃退した池田大佐率いる士魂部隊の活躍はかけがえの無い日本の国土(北海道)と日本国民を守るという、正に『民族の防波堤』としての役割を十二分に果たして下さったものと断言できよう。


改めて池田大佐はじめ士魂部隊の全将兵の皆様に感謝の意を表させて頂くと共にこの戦で亡くなられた全てのご英霊並びに戦後ソ連(ロシア)による無謀なシベリア強制抑留で異国の地に無念の死を遂げられた部隊の方に対しまして心からご冥福をお祈り申し上げます。


平成二十六年二月十一日(建国記念の碑)




記載と掲示板設置は、歴史研究家であり三ヶ根霊園清掃奉仕会の杉浦明俊さんであります。自費で作られました。




ソ連は少なくとも留萌以北をもらわねば日本の独立を認めないとサンフランシスコ条約にも同意しないままである。彼らには当然樺太や全千島の領有権などは無い。無論北方領土の所有権などはあるはずも無い。日本共産党ですらその主張である。




かくまでに尊き戦をなしてくださった先人に対して慰霊鎮魂を為すのは今に生きるものの責務ではあるまいか。   以上。




以上の文は愛知の教育を考える会通信9月号に載せました。名古屋の神谷様はその生存者で毎月月命日に参拝してくださっていましたが二年前に冥界に旅立たれました。私共は毎月第二土曜の朝九時よりこの碑の前に集まり清掃奉仕をしています。


杉田謙一


----- Original Message -----
From: "NPO法人百人の会"
To:
Sent: Saturday, November 21, 2015 2:11 PM
Subject: 長島大尉の使命感には感動