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安倍総理の志は死なない!!

神宮外苑・再開発問題は「貧すれば鈍す」の象徴だ

なぜ欧米では「私有地だから自由」が厳禁なのか
堀内 勉 : 多摩大学大学院経営情報学研究科教授
2023年10月17日
明治神宮外苑の再開発の是非が大きな論争になっている。再開発は本当に必要なのか。そもそも都心部の再開発はなぜ必要なのか。
大手不動産デベロッパーの経営陣として再開発に携わってきた著者が、日本における再開発の課題について論じる。
明治神宮外苑の再開発の是非が大きな論争になっています。
そこで、港区や「神宮外苑地区第一種市街地再開発事業」の事業者である三井不動産のプレスリリースを読んでみましたが、この計画を見る限り、再開発事業としてはよく考えられた案だと思います(もちろん、港区が要請している銀杏並木の保全については、引き続き注視していく必要はありますが)。
とはいえ、この再開発は延々と批判の対象になっていて、特に神宮外苑に高層ビルが必要なのか、銀杏並木は本当に保全されるのかについて、都民の納得が十分に得られたとは言えない状況にあります。
そのため、今年9月中にも高さ3メートル以上の木の伐採が始まる予定だったものが、東京都が事業者側に対して具体的な樹木保全策を提出するよう求めたことで、年明け以降に延期されています。
そこで、今回はこの問題について、私なりの視点で整理してみたいと思います。
都心部・大規模再開発の仕組み
これまで東京都心で進められてきた大規模再開発の手法を簡略化して説明すると、①開発事業者が開発資金の大半を提供する、②道路や公園や公開空地などを整備する代わりに容積率の割増や高さ制限の緩和などの特典をもらう、③権利変換による地権者の取り分(権利床)を除いた余剰床(保留床)の部分を、開発事業者が上記開発資金の見返りとして受け取る、という仕組みで成り立っています。
もちろん、細かく言えばさまざまなバリエーションはあります。詳細は公表されていませんが、今回はこの地域の高さ制限の撤廃に加えて、開発事業者である三井不動産や伊藤忠商事による、当該地域の空中権の買い取りという仕組みも使っているようです。
いずれにせよ、これまでの規制では捻出できなかった余剰床の部分を開発資金を提供する見返りとして受け取れるからこそ、三井不動産などの事業者は再開発事業を引き受けるのであって、単なるボランティアで数千億円の資金を提供することはあり得ません。
そして、余剰床というのは、それまで設けられていた高さ制限や容積率などの緩和があるからこそ出てくるもので、ただ既存の建物を修繕したり建て替えたりするだけでは生まれてきませんから、再開発と高層ビル建築の問題はセットだと言うことができます。
ですから、再開発資金の捻出のために、今回の神宮外苑のような問題は必ず出てきてしまいます。空からお金が降ってくるわけではありませんので。そうした意味で、民間事業者の立場からすれば、今回の神宮外苑の開発プランはリーズナブルなものだと言えます。
他方で、この問題をより広い視野で考えてみると、東京という都市の特徴は、都心に緑が少ないことです。より正確に言うと、それなりに緑地の面積はあるのですが、都民が利用できる場所が少ないのです。
東京の地図を眺めてみればわかりますが、皇居や赤坂御所を一般人が利用できないのは当然として、明治神宮内苑も利用がかなり制限されています。青山墓地も都民の憩いの場にはなり得ませんし、日比谷公園や新宿御苑も立ち入り禁止の場所ばかりです。
マンハッタンの中心に人々の憩いの場としての巨大なセントラルパークがあるニューヨークや、ハイドパークなど多くの公園を擁するロンドンと比べると、こうした東京の過密ぶりと緑のなさは目を覆いたくなるばかりです。
六本木ヒルズや麻布台の再開発の意義
東京の地図をさらに詳しく見てみると、再開発が必要な場所とそうではない場所があることがわかります。例えば六本木ヒルズですが、この再開発が完成する前にあそこに何があったかを思い出せる人はいるでしょうか。そして、今まさに竣工を迎えようとしている麻布台ヒルズについても同様です。
両地域とも、小さい木造家屋が密集した道路の狭い区域で、万が一火事があっても消防車も入れないような、吹き溜まりのような場所だったのですが、そのことは恐らく誰も覚えていないでしょう。
高層ビルに批判的な人が多いのは理解していますが、それと引き換えに六本木や麻布台は安全な街と多くの緑を手に入れたのです。
東京という都市は、1923年の関東大震災の大打撃から十分に立ち直らないうちに、1944年から1945年にかけてのアメリカ軍による空襲、特に1945年3月10日の東京大空襲で面積の1/3以上が灰燼に帰してしまいました。実は戦後、その失われた首都機能を回復するために東京都が作り上げた「東京戦災復興都市計画」という素晴らしい計画がありました。
しかしながら、国も東京都もそのための予算が確保できなかったこと、戦災による資材・人材が不足していたこと、そして何よりその計画が実現して日本が国力を取り戻してしまえば、ドイツが二度の世界大戦を引き起こしたように、第2の太平洋戦争を招いてしまう恐れがあるとして、GHQ(連合国最高司令官総司令部)から反対されたことで、実現には至りませんでした。
その後、冷戦に突入することでアメリカの対日政策は大きく方向転換し、日本も高度成長期を迎えるわけですが、時既に遅しで、東京という都市は、その首都機能を支えるには余りにも脆弱で醜いものになってしまい、今日に至っているのです。
神宮外苑は「再開発」なのか
六本木ヒルズ近くの東京ミッドタウンがある場所には、以前、今は市ヶ谷に移転した旧防衛庁がありました。土地の所有者は国でしたが、そこを入札によって民間に売却したわけです。本当にあの場所を開発する必要があったかと言えばその必然性はなく、全部を公園にしてもよかったのですが、国が財政再建のために売却したということです。
ですから、東京ミッドタウンは、正確に言えば「再開発」ではなく「開発」です。これに対して、六本木ヒルズは「再開発」であり、それがなければ、あの場所はずっと吹き溜まりのような脆弱な場所であり続けていたのです。
翻って、神宮外苑はどうかと言えば、やはりこれは「開発」や「整備」ではあっても、本来は「再開発」の場所ではありません。あえて再開発をする必然性がないからです。老朽化した神宮球場や秩父宮ラグビー場を建て直せばいいだけなのですが、所有者である宗教法人明治神宮や独立行政法人日本スポーツ振興センターが建替資金の捻出をできないために、「再開発」という形を取ったということです。
明治神宮が宗教法人であるために、国が資金支援をできないという問題もあるようですが、もし明治神宮に十分な資金がないのであれば、国や東京都が土地を借り上げて野球場やラグビー場を建てればいいだけの話です(あるいは改修という形でもいいですが)。おそらく、国や東京都にもその資金がないからこそ、民間事業者の力を借りたということなのでしょう。
しかしながら、本来の「再開発」というのは、このまま本当にこんな場所を放っておいていいのか、次に首都直下型地震が来たら、間違いなく大きな被害が出るというような場所を、安全で人々が集える場所に作り替えようというものであり、防衛庁跡地や神宮外苑のように、もともと空地だった場所に高層ビルを建てることではありません。まず、こうした再開発の基本を押さえておく必要があります。
そのうえで、神宮外苑の現状計画を支持し、反対派を批判する人の意見を聞くと、神宮外苑は私有財産だから何をしてもいいはずだといった声が多いことに驚かされます。
世界の先進国で、日本ほど土地について完全な所有権を認められている国は他にありません。だから、土地に対する規制が極めて強い中国の人たちが競って日本の土地を買うのです。自分の土地だからどうしようが勝手だというのは、この限りある地球の一部を自分だけが好き放題に使っていいなどという、今どき考えられない反SDGs的な発想です。
欧米に見られる「コモンズ」の概念とは
どの国でも、資本主義の本家本元であるイギリスでもアメリカでも、土地というのは公共的な観点から所有者が使用や処分の制限を受けるものです。限りある地球の一部が完全に自分だけのものだ、などということがあり得ないのは、冷静に考えてみればわかるはずですが、そうした発想もできないほど、今の日本では「公共」の概念が失われてしまっているのです。
イギリスやアメリカには、「コモンズ」(commons)と呼ばれる公園のような広場があります。私有財(private goods)や公共財(public goods)と対比される共有財(common goods)という概念で、日本語に訳せば「共有地」や「入会地」です。民間の私有地でもなければ国や地方公共団体の所有地でもなく、誰もが自由に利用でき、占有が許されない、まさに「共有地」と呼ぶべき場所です。
シカゴ大学と東京大学で教鞭を執った経済学者の宇沢弘文は、こうした豊かな生活を営むための共有財産を「社会的共通資本」と呼び、資本主義的な市場取引の対象にしてはいけないものとして定義づけました。
神宮外苑の再整備のあり方については、こうした視点で考えることが必要ではないでしょうか。神宮外苑が、東京大空襲で壊滅した首都東京の中で、僅かに生き残った「都市の記憶」の場所であることも考えるべきです。私たちは過去の記憶もない平板な場所で、これから生きていくのかと。
ですから、再開発反対を訴えている人たちを、単に遅れてきた共産主義者やリベラル左派が、「木を切るな」と言って情緒的に騒ぎ立てているといって非難すれば済むという単純な話ではありません。
「貧すれば鈍す」と言いますが、今の日本はこうした公共財を食い潰さなければならないほど経済的に困窮しているということだと思います。逆説的な言い方をすれば、資本主義的な成長がなければ人心は荒んでしまい、今回のようにかえって極端な資本主義的行動に走ってしまうということです。
つまり、資本主義の暴走を抑えるためには資本主義がほどよいレベルで回っていなければならないということです。人間の欲求を5つの段階に分類して階層的に説明するマズローの欲求5段階説で言うところの、生理的欲求や安全欲求という低次の欲求を満たすために、必要最小限の資本主義の力が必要なのだということです。