Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

コロナとトランプ政権で明らかになったマスメディアとSNSの偏向

 また緊急事態宣言が発令されたことで、ニュースもネット上の話題も新型コロナウイルス一辺倒になっていますが、今年に入ってくしくもほぼ同時に、マスメディアとソーシャルメディアの双方に大きな偏りがあることが明らかになったのではないかと思います。
小池都知事の不作為を報じず“優遇”
菅首相への批判報道と対照的で違和感

 マスメディアの偏りを象徴しているのは、菅義偉首相と小池百合子東京都知事に対する正反対の扱いです。
 今回の緊急事態宣言を出すきっかけとなったのは、1月2日に小池知事を筆頭に1都3県の知事が西村康稔経済再生担当大臣に行った要望ですが、そこからのマスメディアの報道を見ていると、基本的には、宣言の発出など政府の対応が「後手後手で遅すぎる」というトーンに終始しています。
 しかし、新型インフルエンザ対策等特別措置法の建て付けを見れば明らかなように、本来は感染防止の対応策を講じる主体は都道府県知事であり、実際に政府が緊急事態宣言を発出する前にでも、知事ができる対応はたくさんあります。
 その観点から、1月2日に政府へ要望をする前に小池都知事がどのような対応を取ったかを振り返ると、飲食店の22時までの時短営業をさらに強化することはしていなかったし、重症者用の病床を増やすために知事自ら汗をかいている様子もありませんでした(今ごろになって、東京都が直営する大病院をコロナ専門の病院にしようとしていますが)。
 大阪府の吉村洋文知事は、第3波が来る前からその両方で動き回っていたのとは正反対だったのです。
 従って、まぁ政府の対応が後手後手なのは事実なので、マスメディアが菅首相を厳しく批判するのは当然としてしょうがないとして、同時に小池知事の不作為をいまだに強く批判しないのには大きな違和感を持ち続けています。
ようやく報じるようになった“病床不足”
いずれにせよ偏ったマスメディア

 私は、1都3県の知事が政府に緊急事態宣言を要望したというニュースを見て、まず直感的に、小池知事が都内の感染者数が急増して自分の無策を批判される前に、政府に責任転嫁しようとしているんだろうなと思いました。先日は、政府との意見交換の後に3県の知事を従えてぶら下がり会見に臨む姿をテレビで見て、夏の都議選に向けた露出の強化まで始めたかと思ってしまいました。
 もちろん、そこまで悪く捉える必要はないと思いますが、それにしてもマスメディアの小池知事に対する“優遇”はおかしいと言わざるを得ません。とにかく政府や政権を批判したい、その方が視聴率を取れる、小池知事は人気があるから批判しない方がいい、といった思惑があるのでしょうか。
 ちなみに、マスメディアの偏りという観点からは、日々の感染者数を騒ぎ立てるのに忙し過ぎるからかもしれませんが、大事な論点を取り上げるのが遅すぎるという問題もあると思います。
 その例を一つ挙げると、最近ようやく多くのメディアが、「日本の人口当たりの病床数は世界一である一方で、感染者数は欧米より圧倒的に少ないのに、なぜ医療崩壊の危機に瀕するのか」という問題を取り上げ始めました。しかし、自慢する気はありませんが、私や政策仲間である原英史氏(政策工房社長)は、ひと月以上前の12月上旬にこの問題を指摘しています(https://www.youtube.com/watch?v=6cq4n7E2zLg&feature=youtu.be)。
 いずれにしても、これらの事実から分かるのは、マスメディアの報道には大きな偏りが存在するということです。
 ネット、特に多くの識者も使っているソーシャルメディアは、正しい情報を自分で調べて入手してこうしたマスメディアの偏りを補正するという観点から、すべての人にとって非常に重要なツールとなるはずです。
 ところが、今年に入って、そのソーシャルメディアの偏りが米国で露見してしまいました。米国のトランプ大統領の支持者が、審議中の連邦議会議事堂を襲撃したことを受け、トランプ大統領がこの暴動を扇動したとして、ツイッター社は、そのツイートが「さらなる暴力を扇動する恐れがあるため」との理由で、トランプ大統領のツイッターのアカウントを永久停止にしたのです。
 これは一見すると、とんでもないツイートを繰り返してきたトランプ大統領が相手だからやむを得ないし当然だと思われるかもしれませんが、冷静に考えると、ソーシャルメディアの偏向を示す端的な事例でもあるのです。
違法コンテンツの責任を負わなくていい
法律で特権を持つ米国のSNS運営会社

 米国では、ネット企業やソーシャルメディアは、通信品位法第230条により大きな特権を享受しています。具体的には、それらの企業がネット上に築いたプラットフォームを通じて、ユーザーが提供する投稿などの情報について、それが違法なものであったとしても、掲載したことの責任を問われないのです。
 かつ、ユーザーがわいせつ、扇情的、暴力的など好ましくないと考えられるコンテンツを投稿した場合に、それらへのアクセスを制限するためにネット企業の側が善意で行ったいかなる行為についても法的責任を問われないとされています。
 米国では、この通信品位法第230条の特権により、ネット企業が大きく成長できた一方、ネット企業がそれを濫用するケースがあることから、第230条の修正が必要という議論が行われている最中です。しかし、その議論如何にかかわらず、アカウントの永久停止というツイッター社の措置は、明らかに意思決定としては偏向しているのではないでしょうか。
 マスメディアは“publisher”として、提供した情報が間違っていた場合などは責任を問われるのに対して、ネット企業は“publisher”ではなくプラットフォームという“導管”を提供しているだけであり、またネット上には多くのプラットフォームやサイトがあることから、ユーザーは自由にネット上のほかの場で投稿できるといった点が、第230条の特権を定めた背後にあると思います。
 しかし、この法律が制定されたのは1996年です。それから四半世紀経った今はどうかというと、ソーシャルメディアはマスメディア以上の影響力を持つに至りました。かつ、ソーシャルメディアの世界は、ツイッターやfacebook、YouTubeなど少数のプラットフォームによる寡占状況となっています。
 そうした中で、個々の発言が不適切な場合に削除などを行うのは当然として、アカウント自体を永久停止するのは、マスメディアの報道に異論がある場合に、自由に意見表明するという表現の自由を奪うことになりかねないのではないでしょうか。
トランプ支持者御用達SNSも排除
一企業のポリシーで決めていいのか

 そうした基本的人権に関わるレベルの判断は、本来は司法、百歩譲っても国会か行政機関が行うべきであり、一企業のカンパニーポリシーで対応するのを許してはいけないと思います。
 ちなみに、日本ではあまり報道されていませんが、トランプ大統領のアカウントを永久停止した後、ツイッター社は、トランプ支持で陰謀論を展開する右翼勢力であるQAnon関連のコンテンツを投稿する7万以上のアカウントも永久停止しました。
 また、トランプ支持者や陰謀論者、保守派、右翼がメインユーザーであるParlerというSNSに対しては、連邦議会議事堂での暴動の後に、AppleとGoogleがアプリストアからそのモバイルアプリを削除し、またAmazon Web Servicesがホスティングサービスを停止しました。
 確かに連邦議会議事堂襲撃というのは、許されない暴挙です。しかし、ネット上の寡占状況から、有名プラットフォームから締め出された人たちはネット上で影響力を持てないことを考えると、これらの措置はトランプ支持者や極右の人たちにとっては言論上の死刑宣告に等しいのではないかと思います。
 それを民間企業ができるということ自体が非常におぞましいのではないでしょうか。疑り深い見方をすれば、シリコンバレーの企業はほとんどが民主党支持なので、トランプ大統領の退任と連邦議会議事堂襲撃という暴挙を奇貨に、ネット上から極右を一掃しようとしているようにも見えてしまいます。これは、ネットの自由とは正反対の、ネットの大きな偏りといえると思います。
 これらの事実から分かるのは、良識ある人たちが政治や政策に関する真実を見つけるのが、すごく大変になったということです。そうした中で、政治や政策に関する真実を探すにはどうすればよいのか、私にはまだ明確な回答はありません。強いて言えば、マスメディアやネットの独特の偏りを正確に理解した上で、そのバイアスに留意しつつ、多くの情報に接して自分なりに判断するしかないように思えます。
 ただでさえコロナで世界中が大騒ぎで、政治や政策の状況を正しく理解する必要性が大きいことを考えると、マスメディアとネットの双方の偏りに対する問題意識を持ち続ける必要があるのではないでしょうか。
(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授 岸 博幸)