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コロナ「医療逼迫」に「国民が我慢せよ」は筋違い 森田洋之医師が語る「医療の不都合な真実」

病床数が世界一の国でなぜ医療が逼迫するのか。なぜ都道府県単位で悩むのか


現在、「医療逼迫」を理由に、新型コロナの感染拡大防止として、まん延防止等重点措置が宮城県、大阪府、兵庫県、東京都、京都府、沖縄県、埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県の10都道府県で実施されている。さらに、大阪、兵庫、東京は緊急事態宣言が発出される見通した。北海道夕張市立診療所長としての体験などから日本の医療制度や実態を調査し、『日本の医療の不都合な真実』の著書もある森田洋之医師に話を聞いた。森田医師は「医療逼迫」「医療崩壊」の原因は日本の医療制度にあり、まん延防止等重点措置や緊急事態宣言によって国民の活動を制限するのは筋違いであると指摘する。


日本の医療では「市場の失敗」が起きている
 ――今年に入って、「医療逼迫」を理由に緊急事態宣言を発出し、それを2度にわたって延長、さらに飲食店を規制対象とする「まん延防止等重点措置」の導入と、国民の活動を制限する措置が継続的にとられています。問題は日本の医療制度のほうにあるとのことですね。詳しくお話しください。


 まず、日本の感染者数は現在も、人口比で欧米のほとんどの国々よりも1桁少ない。一方で、1人当たりで見た病床数は世界で最も多く、医師の数も欧州主要国よりはやや少ないけれども、アメリカとは変わらない。


 それでなぜ医療逼迫が起きるのか。日本の医療システムは、医療提供を国で管理するのではなく各病院の自由に任せているため、経済学で言う「市場の失敗」が起きているのです。患者数という需要側にもまして、医療の提供という供給側に問題があるのです。


 今、大阪府で感染が増えて医療逼迫の状態にある、このままでは医療崩壊が起きると吉村洋文知事は訴えています。たしかに大阪だけを見ればそうなのかもしれませんが、一歩下がって全体を俯瞰すると別の景色が見えてきます。


 厚生労働省が発表している全国の重症者数や病床数を見てみましょう。4月14日時点の発表で、大阪府の重症者は302人で重症者向けに確保した病床数は464ですから65%と確かにかなり埋まっています。兵庫県も116の病床数のうち77で66%まで来ています。ところが、となりの鳥取県では47病床のうち重症者ゼロ、島根県も25床あって重症者ゼロ、岡山は43病床のうち4人重症者がいますが、広島は48あってゼロ、山口県は重症者向けの確保病床数が124と兵庫よりも多いのですが、重症患者はゼロです。


 こういう状況ならヘリコプターで患者を隣県に運んでもいいし、逆に応援として、医師や機材が他県から来てもいい。ところが、そんな話にはまったくならない。日頃から病院同士は競争関係にあるので、協力関係になれないからです。都道府県の間はおろか、隣の病院とも協力関係にはなれません。まったく融通が利かない状態です。


病床も機材も新型コロナには数%しか使われていない
 ――そもそも新型コロナ患者を受け入れる病院が少ないですよね。今年に入って、国は新型コロナの重症患者1人受け入れに1500万円の支援金を出し、自治体からの支援金も上乗せされています。ですが、いっこうに受け入れは増えませんでした。


 全国の日本の病床数は150万もあります。そのうち、新型コロナ患者を受け入れている病床数は6万で4%しかない。これでも実は増えてきたほうで、1年前の感染第1波で緊急事態宣言を行ったときには、0.7%しか使っていませんでした。


 日本の病院の経営上の理由から常時満床を目指しています。そこには、本人の望む人生かどうかを別にして慢性疾患や終末期の高齢者を病院に収容しているという大問題があります。だから、病院の多くは新型コロナのために病床を空けたがらない。感染症は波があるので、患者数が急激に増えて、また、急激に減る。それに対応していたら、経営が成り立たないからです。


 重症患者に使われる人工呼吸器の数は全国推計で4万5000台ですが、学会の公表データによると、そのうち4月18日時点で新型コロナでの利用は414台、1%弱しか使われていません。今回の新型コロナではECMO(エクモ)と呼ばれる人工肺のようなものが知られていますが、これは全国2200台のうち、新型コロナに対しては44台が稼働中で、大阪府で11台使っています。新型コロナ患者への使用率は2%です。


 これだけ日本中で大騒ぎしている新型コロナですが、人工呼吸器やECMOを使うような重症者でさえも日本の医療提供能力の数%しか使っていないということです。欧米は日本の何十倍も感染者・死亡者がいたのですから、医療負荷はもっともっとかかっていたでしょう。それでもなんとか持ちこたえていました。なぜ、これで日本は医療崩壊と騒がれるのでしょうか。しかも、持っている機材の数が推計値なのは、病院が独自に機材の調達を行っているからで、正確な数を国として把握していないのです。


政治が医療を管理できず、国民に責任を転嫁
 海外の先進国ではどうか。欧州では病院といえばほとんどが国立・公立で、国が全体を管理しているので、病床の融通ができるんです。EU(欧州連合)ですから、国をまたいだ患者搬送もあった。欧米の場合、新型コロナによる病床の使用率は状況に応じて大きく増えたり減ったりしている。減らすことも大事なんです。緊急事態で空けさせるわけなので、急がない手術などを延期していますから。


 つまり、多くの先進主要国では病院を警察や消防と同じ国の安全保障として位置づけているのに、日本では病院の自由に任せている。競争原理によって医療提供をコントロールしようとしているのです。だから、第1に協力関係ができない、第2に緊急事態に迅速に対応できないという「市場の失敗」が起きてしまう。


 都道府県単位で悩んでいること自体おかしいでしょう。感染症の拡大は国としての安全保障と考えるべきです。それなのに、九州によその国から敵が攻めてきたら、本州は知らんぷりしてるみたいな、そんな馬鹿な話になっているんです。日本全国で機動的に対応すれば医療逼迫でも何でもない。医療崩壊ではなくて医療資源も医療システムも管理できていないだけの話です。


 最前線の現場で歯を食いしばって懸命に働いていらっしゃる医師・看護師の方々の尽力に報いるためにも、人員や物資などの医療資源を適切に配備する後方支援システムを早急に立て直すべきなのです。ですが、医療業界が各病院の自由を原則にした市場原理を基本に構築されているため、国も地方自治体もまったく動きが取れないというのが現状なのです。


 宇沢弘文(1928~2014)という経済学者は、医療を市場原理に任せてはならず、「社会的共通資本」として公的に管理すべきだと指摘していました。こうした考え方に立てば、医療の提供を市場に任せてきたのが間違いです。


 医療業界はリソースのほとんどを新型コロナに割いていない。一方で、政府は外出するなとか外食するなとか3密を避けろとか、国民にばかり我慢を強いて活動制限を行っている。責任の所在が国民にあるかのようにすり替えているんです。


 自分の専門領域のみの視点で語る医者の意見、専門家の意見に政治家が頼っていることが大きな問題です。最前線の医療現場で対応している専門家の方々の頑張りは本当に貴重でその意見は尊重すべきですが、かといって最前線の兵士が全体の戦況を把握し、国全体の未来を見通した戦略をたてられるか、というとそれは別の話です。国として全体の武器弾薬に相当する医療設備や医療機器や薬を把握し、さまざまな知見を総合して指揮を執る指揮官がいないといけない。


テレビや新聞はコロナ対応の病院だけを報道
 ――宇沢弘文は診療報酬制度を批判していましたね。医師は自由に開業する一方で、診療報酬制度で守られています。公立ではなくても公的インフラの位置づけにあるわけで、積極的に協力するべきじゃないでしょうか。公立病院がブラック勤務といわれる一方で、開業医の多くは「熱のある方は電話でご相談ください」と張り紙して保健所に回してしまっています。


 本当に、おかしなことです。皆、全体像をちゃんとみていません。テレビや新聞は新型コロナに対応しているごく一部の病院、対応に追われている病院の医師や看護師さんの苦境だけを報道しているので、国民の多くが誤解してしまう。最前線の現場で頑張っていらっしゃる医療従事者の方々には本当に頭が下がりますが、それが医療業界全体のイメージとして報道されていることにはたいへん違和感があります。


 ――新型コロナという感染症について、最近は再び患者数が増えているので、テレビ、新聞は盛んに危機だとあおっています。森田さんはどう見ていますか。


 超過死亡という統計があります。感染症の流行や大きな気候変動などによって、平年の死亡者よりも増えたかどうかを見るものです。2020年の年間死者数は138.4万人で前年よりも9300人減りました。高齢化で死亡者数は年々増加していたのに、11年ぶりの減少です。特に、死因別に見ると肺炎は毎年10万人死ぬんですが11月までの数字でむしろ前年の同じ期間より1万5000人減っています。一方で、欧米では死者数が例年よりも大きく増えました。


日々の報道に一喜一憂せず俯瞰的な視野で捉えて
 人口比で見た感染者数も死者数も欧米に比べると圧倒的に小さくて、それらから見れば日本の第1波も第2波も第3波もさざ波に見えます。 いま、ワクチンでイスラエルやイギリスがものすごく被害が減ったと大喜びして、パブなど再開していますね。でも、まだ日本よりも死者は多いんです。ちなみに、死者数で見ると、日本、中国、韓国、台湾、これがすべて欧米より数十分の1~数百分の1の数字ですが、これが4回出るって天文学的な確率です。これは交差免疫など何らかの免疫学的機序が関与している可能性が高いと思います。


 そしてこれは、変異株でも基本的に変わらないとみています。もちろん、今後の推移には注意していかなければいけませんが、毎日の「感染者〇〇人」「〇〇以降最高」といった情報にもまして、こうした俯瞰的視野で物事を捉えながら推移を見てほしいと思います。


 ――そういう中では、新型コロナのリスクばかり見て社会活動全体を制限することのリスクを見ていないのは異常ですね。すでに「コロナ鬱」による自殺も増えています。「命か経済か」という短絡的なフレーズがありますが、経済苦による貧困も病気や死につながります。スポーツや芸術などの文化的なイベントを「不要不急」と決めつけるのも危険なことだと思います。


 本当にバランスが悪いですよね。昨年、東京都知事の小池百合子氏が「今年は花見を我慢してください」と言いました。「さくらは来年も咲きます」といった高名な医学者もいました。しかし、「もう桜を見られるのは今年が最後」というお年寄りもいたんです。そして、コロナ禍2度目の春の今年も花見は我慢と言っています。人間らしい生活というものが私たちからどんどん奪われています。


 人は独りで引きこもって生きていけません。人と人とのつながりで生きています。人間の社会が壊されて行っています。新型コロナだけをみている医療従事者の言うことを聞いて、社会のほかの大切なことを全部犠牲にしている。


 先ほどもお話ししましたが、政治家が医者に頼って物事を決めているのが問題です。専門家は専門性という狭い領域の中で結果を出すことを求められています。人と人とのつながりを断ったことで中高生の自殺が過去最高になったとか、経済を止めたことで飲食業界・旅行業界が壊滅的な打撃を受けたり、出生数までもが激減してしまったとか、そういうことにはあまり目を向けられないのです。政治家が社会全体にとって何が大事かを判断しなければならない。この当たり前のことが日本で通用していない。


「医療全体主義」が日本を支配してしまっている
 ――ところが、与党以上にゼロコロナ志向のテレビや新聞、さらに野党が、新型コロナの被害や専門家の活動制限を主張する言葉ばかりを並べ立てる。国民を脅して、与党を国民に活動制限を強いる方向へ駆り立てているのが実態です。


 コロナ禍の前から、医療偏重という問題がありました。過剰診療や生活の質を無視した苦しい延命治療など、医療に人間の生活や人生までもが支配されてしまうという問題です。今まではそれが病院の中にとどまっていました。


 しかし、今回の新型コロナをきっかけに医療偏重が社会全体に広がった。医療界が「命を守る」「○○しないと死ぬ」と脅して、そうした恐怖で人々や世界を動かせることが証明されてしまった。まさに「医療全体主義」が日本を支配しているのです。