Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

元陸将補が菅首相礼賛、小池都知事と報道機関を一刀両断

 野党やマスコミは頭から菅義偉政権をマイナス評価したいという意識に憑りつかれているのではないだろうか。
 政権や権力を批判するのが彼らの役目ではあろうが、いまは「国民の命を守る」施策いかんを評価の対象とすべきであろう。
 安倍晋三前政権より指導力がないと端から決めつけた上で、国会開会中はまともな議論よりも非難合戦に終始し、閉会直前になると大幅な会期延長を主張するゼスチャーをとる。
 すべては倒閣したい一心からの行動であろうが、党利党略や反菅報道に熱中するあまり、国民の生命が犠牲になることがあってはならない。
 また、五輪は日本が「復興の証」として招致したものである。そして「コロナに打ち勝った証」を追加して1年の開催延期をした。
 開催1か月前となった今は、「国民の命」と「コロナに勝つ」最大の努力こそ求められているのではないだろうか。
新型コロナウイルスの来襲
 2020年来の新型コロナウイルスの登場で、政治の世界や月刊誌を含めたマスコミ界で多く見聞されるようになったのは「リーダーシップ」という用語である。
 日々報道される感染者数と死者数の急増で、「国民の命を守る」首相のリーダーシップの重要性が認識され、期待されるからである。
 初期段階の日本ではダイヤモンド・プリンセス号における感染者報道で、安倍政権のコロナ対策は間違っている、すなわちリーダーシップが見られないという主旨の報道や批判が多かったかと思う。
 該政権はコロナ事態対処の法整備を準備する一方で、マスク入手・増産やワクチンの取得契約・開発促進などの手を打つと同時に、サラリーマンのテレワークや休業、学童らの休校・休園、これらに伴う予算措置など、世界の範となるようなことを積極的に進めた。
 また、各家庭にも相当の負担(特に精神面)が掛かっているとして国民1人当たり10万円の支給やマスク配布などきめ細かい支援を行った。
 成果は欧米などに比して終始感染者や死者の僅少ということで証明され、逆に国民も世界も安倍氏のリーダーシップを評価した。
 しかし、何が何でも批判したい勢力は、マスクが鼻と口をようやく覆えるほどの大きさのために「アベノマスク」と揶揄し、10万円はタンス預金に回っただけだと難癖をつけ続けた。
 今でこそマスクが種類も豊富に出回るようになったが、アベノマスクの有難さはなお忘れられない。
「もったいない」精神を持つ世代の筆者は、洗濯の容易さも手伝って配布された2枚のマスクを今でも使用し続けており、小ぶりは「便利」にさえ思っている。
 菅義偉官房長官(当時)は、コロナでは厚労省だけでなく経産、総務、文科、環境省など多くの省庁が関係し意思決定が遅れがちになることに苦慮し、長官が主体となって官邸主導で行うようにした(「編集長インタビュー 菅官房長官、覚悟を語る」『Hanada』2020年9月号所収)。
ワクチン特命大臣指名はリーダーシップ
 そうした中で、急遽政権を担った菅氏は前政権下での10万円やマスクの配布が手間取ったことをデジタル化の遅れとして、さっそくデジタル庁整備につなげた。
 また、長年自分なりの懸案としてきた携帯の料金引き下げを示唆し、一斉に動いた。
 全国民がコロナ禍混乱の中にありながらも、国民生活の向上と次代を見据えた施策への手を打っていたのである。
 いずれも、IT化していく社会では避けて通れない施策で、今まで手つかずであったことを次々に実行に移している実態をマスコミは報道し、国民に印象付けてもいいはずだ。
 安倍氏に比して訥弁ではあるが、記者会見も頻繁に開き、国民に理解してもらえる努力をしてきた。
 しかし、野党・マスコミは決まり文句のように「リーダーシップがない」を繰り返すばかりであった。
 過ぎ去ったことはともかく、本当に首相にはリーダーシップが欠落しているのだろうか。
 リーダーシップとは世界と日本の関わりという国家戦略のことばかりを言うのではない。いま現在は国内のコロナ抑制と五輪の開催問題であり、ここに全集中でありこれ以外にはない。
 コロナは次々に変異しながら感染力を強めているので、苦慮しているのは日本ばかりではないが、日本は五輪開催国という他国にない重圧がのしかかっている。この両立をいかに解決するかがリーダーシップの発揮しどころである。
 そこで、まず行ったのがワクチン接種担当の特命大臣の指名(1月18日)であった。ワクチン接種を至短期間に完了するには省庁の壁を乗り越える強力な力が必要であると認識していたことからの決断である。
 筆者は、河野太郎氏についてパフォーマンスに秀でているが、外国の製造会社参りなどやっていないではないかと批判した。
 その頃、NHKをはじめとするマスコミはワクチンがなかなか日本に来ないだの、超低温保存で輸送などが大変だなど自治体の不満や混乱ばかりを報道していた。
 しかしその後の入手状況からは、筆者には見えていなかったが、マスコミの情報収集能力もお粗末だったと言わざるを得ない。
 官邸や河野大臣は、せっせと製造会社などを督促し、また、自治体や職域での接種能力アップなどの作戦を練っていたようである。
 2点目は訪米時のファイザー社CEO(最高経営責任者)と電話会談して追加供給の確約を得た(4月17日)ことである。
 菅首相は対面交渉を意図したが、外務省の失態と相手の都合で電話会談になったと仄聞する。
 イスラエルの接種率が高いことはネタニエフ首相が頻繁に製造会社を訪問した結果であるといわれるが、菅首相は訪問こそできなかったが、先例をしっかり学び手を打っていたということであろう。
画期的な「1日100万回接種」
 第3点は、そして何よりも決定打となっているのは、5月7日に行った記者会見での不退転の決意表明である。
「私自身が先頭に立って、ワクチン接種の加速化を実行に移す」と語り、「1日100万回接種」「7月末までに希望する高齢者の接種完了」を確言した。
 首相は6月18日の記者会見で前1週間の接種は700万回を超したと聞いていると語り、自分が掲げた1日100万回がすでに達成されたと語った。
 5月初旬に首相が不退転の表明をした時点では1日数万人程度でしかなかった。しかし、あらゆる面で工夫がみられ、目標達成に至ったわけで、これは素晴らしいリーダーシップというべきであろう。
 100万回達成を語る首相の口調は和らぎ、顔にもわずかながら笑みが見られたように感じた。しかし、マスコミはあまり反応しなかったように見えた。
 河野太郎接種担当大臣は6月21日のNHKニュースウォッチ9で、「首相が次々にゴールを設定する」と語ったが、これこそが正しくリーダーシップであり、次は「10、11月中には希望する全国民の接種終了」である。
 首相がこうした決意表明をしなければ、いまも接種率は底辺の横ばい状態が続いていたのではないだろうか。
観客を入れての五輪開催決定
 五輪は日本が自ら引き受けた国際公約であり、限られた選手たちではあるが国民の輿望に応えるべく自分の全生命をかけて多年にわたって努力してきた。
 いまは世界中がコロナ禍に直面して苦慮し、観客は大幅に制限される。それだけに選手たちの大活躍はテレビなどを通じて主として家庭で観る以外にない。
 静かな形ではあるが、深い感銘をもたらすに違いない。主催国の日本は感動的な映像伝達に努めるべきだ。
 政権にダメージを与えることだけに注力し、国内を分裂させて政局にする企みさえ見られる状況は国際信義に悖るのではないだろうか。
 G7サミットでは参加国首脳の支持も取り付けた。いまはコロナ蔓延防止と五輪成功に向けた努力が日本各地・各所で行われており、一刻も早く日本が「ワンチーム」になるように報道するのも社会の木鐸としてのマスコミの役割であろう。
 依然として五輪決定で日本人の命を危険に晒すのかなどと、五輪開催決断についても酷評が続く。
 ネットを覗くと、「東京五輪は人体実験。菅首相の〝政権浮揚策″に殺されないための自己防衛策」(今市太郎)、「開催のためなら国民統制も厭わず、まるで戒厳令下のオリンピック」(青沼陽一郎)などなど。
 ともあれ、ワクチン入手の遅れから接種数の急速な挽回は、刮目すべき事象であり、一に首相のリーダーシップがもたらしているものである。
おわりに
 もっとも不思議なのは五輪主催都市の首長である小池百合子都知事から、五輪を盛り上げる声がなかなか聞こえてこないことである。コロナの感染者が激減しない中での五輪開催決断に同情しないでもない。
 小池氏がコロナ対処をよくやったからではなくパフォーマンスでこれまで支持を稼いできたことは暴露されている(須田慎一郎「コロナ禍の背景 小池都知事の無策 医師会のサボタージュ」『WiLL』2021年4月号所収、阿比留瑠比「小池百合子の本性を暴いた黒岩知事証言」同誌5月号)。
 過去のことは置くとして、五輪を1か月後に控えた今はコロナ対策と同時に、五輪開催に全力投球すべき時である。これが、五輪を招致し、開催すると決意した都市の責任でもあろう。
 そこに一点の不純もあってはならないが、文藝評論家で(社)日本平和学研究所理事長の小川榮太郎氏が「小池百合子の野望を挫け!」(『Hanada』2021年4月号所収)と書いたように、いまだに菅政権の失敗を見込んだ野望を抱いているとしたら看過できない。
 都が歓迎の声を上げなければ、参加国が選手を送り出すにあたって、「歓迎されていないのではないか」という思いを抱いても不思議ではないだろう。
 ここは私惑を乗り越えて、開催都市として、そして日本と世界の祭典を成功させるべく奮闘すべきであろう。