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海保の追跡21時間、「パンパンパン」甲板に響いた北の銃声…工作船沈没20年

読売新聞 引き揚げられた北朝鮮工作船。巡視船の射撃による弾痕が多数残る(17日、横浜市の海上保安資料館横浜館で)=岩佐譲撮影
 2001年12月に北朝鮮の工作船が鹿児島県・奄美大島沖で海上保安庁の巡視船と銃撃戦の末に沈没した事件から22日で20年となる。北朝鮮の活動の一端が明るみに出るきっかけとなった事件に、現場で対応した海保関係者が取材に応じた。(越村格)
■現場海域
 奄美大島から約230キロの海域で1隻の不審な船が航行中――。01年12月22日午前1時10分、防衛庁(当時)から海上保安庁に一報が入った。21時間に及ぶ追跡が始まった。
 任務にあたった小型巡視船「きりしま」(180トン)の航海長だったのが姫路海上保安部長の田中航二郎氏(50)だ。鹿児島・甑島(こしきしま)の港で出動指示を受け、防弾仕様ではなかった船橋の側面ガラス窓に厚さ約2ミリの鉄板をはめ、午前2時頃、大しけの海に出港したという。
 僚船と合流し、不審船を視界に捉えたのは昼過ぎ。漁船風だが、漁具は見当たらなかった。煙突があるのに赤外線カメラは熱源を感知しなかった。停船命令に従わない不審船に、僚船が警告した上で、まず上空、海面に威嚇射撃をした。それでも停船の気配がなく、1953年に旧ソ連の船に実施して以来となる船体射撃に踏み切った。
 発砲したのは巡視船「いなさ」と「みずき」だ。被弾した不審船から火の手が上がると、落ち着いて消火に当たる乗組員の姿が見えた。田中氏は「練度が高く、漁船ではないと確信した」と振り返る。
 強行接舷を試みると、自動小銃や機関銃で攻撃を受けた。甲板に「パンパンパン」と乾いた音が響き、機銃の台座に身を隠すと、上空で不審船からのえい光弾が光った。「恐怖はなかった」と語る田中氏だが、僚船の3人が負傷した。
 巡視船も応戦し、数分後、不審船は自爆して沈没した。翌年9月、沈んだ船を引き揚げると、ロケットランチャー、地対空ミサイルなどの武器が回収された。見立て通りに工作船だった。
■本庁対策室
 銃撃戦は社会に驚きをもって受け止められたが、当時、警備課長補佐として本庁の対策室に詰めた奥島高弘・海上保安庁長官(62)は「組織として当初から、こうした事態を想定して動いていた」と明かす。念頭には1999年3月に起きた能登半島沖で不審船の逃走を許す事案があった。海保は船の速力不足で追跡を断念しており、「再び取り逃がすわけにはいかない」と考えていた。
 「工作船の実態を白日の下にさらせた意義は大きい」とも語る。事件以降、不審船・工作船は確認されていないが、日本海の漁場「大和(やまと)堆(たい)」周辺では漁船の違法操業が問題になっている。「事件を風化させず、油断なく備え、我々が海の安全を守っていく」と強調した。
◆北朝鮮の工作船=引き揚げられた船は全長約30メートル、総トン数44トン。高速航行が可能な船型で、武器に加え、小舟も格納していた。乗組員10人(いずれも死亡)は殺人未遂容疑などで書類送検された。覚醒剤の密輸などの犯罪に関わっていたとみられる。2002年の日朝首脳会談で、金正日総書記は船が工作船だと認めた。