Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

日本に「危機管理専門」の官僚が足りない根本理由

国民を危機から守るのに欠かせない2つの存在
阿部 圭史 : 政策研究大学院大学 政策研究院 シニア・フェロー
2022年03月22日


活発化する、安全保障・危機管理体制をめぐる議論


「自国は自国で守るというスタンスがなければ、日本もウクライナと同じようなことになる」。ロシアがウクライナに軍事侵攻する直前の本年2月末、小野寺五典元防衛相が危機感を表明した。ウクライナ有事は、台湾有事に敷衍(ふえん)して議論されることも多く、日本の安全保障・危機管理体制に関する課題を突きつけている。
このような状況下、政府は、5月末までにまとめられる自民党提言を受け、年末までに、外交・安全保障政策の根幹となる「戦略3文書」(国家安全保障戦略、防衛計画の大綱(防衛大綱)、中期防衛力整備計画(中期防))を改定する方針だという。
危機への対応ができないとう危機感
日本の安全保障・危機管理体制をめぐる議論は、このような外政面だけではなく、内政面でも活発化している。
岸田首相は、昨年12月の所信表明演説で、「来年の6月までに、感染症危機などの健康危機に迅速・的確に対応するため、司令塔機能の強化を含めた、抜本的体制強化策を取りまとめる」と意気込みを語った。
ウクライナ情勢や新型コロナ危機をめぐる議論の根底にあるのは、「現在の『この国の形』では、国家の最も原始的な任務である危機への対処ができない」という危機感である。
コロナ危機は多くの死者を出し、多くの国民を経済的に苦しめ、日本の危機管理体制が必ずしも国民を守るために効果的・効率的な構造となっていないことをつまびらかにした。が、こうした危機は危機管理体制をどうするのか、という根本のところを見つめ直すきっかけを与えてくれている。すなわち、多種多様な脅威から国民を守るために、日本の危機管理体制を最適な状態へと改革する時期が来ているのである。
それには何が必要か。
そこには、危機の種類によって、大小さまざまな個別具体的な論点が存在すれども、以下の2つの存在はすべてに共通する必須の要素である。
①志と能力の高い官僚
②情熱と固い意志を持つ政治家

「いかなる時代においても、清廉かつ優秀で、志が高い官の存在は、まぎれもなく、国の宝である」。これは、元経産官僚で、その後衆議院議員に転じ、第3次安倍政権で農林水産相を務めた齋藤健氏が、「職業としての官僚」と題した小冊子に記した言葉である。筆者も、元官僚としてそう思う。
国家的な危機管理の実務において中心的役割を果たすのは、政府の官僚である。平時には、彼らが危機に備えて危機管理政策を企画立案し、危機時には、彼らが中心となって国全体の事態対処に従事する。「国民のために」という彼らの志があって初めて、危機管理が機能する。
国民に危害を及ぼす脅威に対抗する官庁・官職は、いくつかある。軍事には自衛官、陸上の治安には警察官、海上の治安には海上保安官、火災には消防官がいる。しかし、それ以外の多くの脅威に対抗するのは、一般の官僚(行政官)である(とくに、旧内務省の後継官庁である厚労省・国交省・総務省・警察庁)。
自衛官・警察官・海上保安官・消防官は、脅威から国民を守るために日々訓練を積んでおり、それが本務の重要な一部でもある。しかし、一般の官僚はどうか。国民を守る任務を課されているにもかかわらず、危機管理に関する体系的な教育を受ける機会もなければ、訓練の機会もない。
教育訓練を受ける機会がない一般官僚
一般の官僚だけ専門的な教育訓練を受ける機会がないうえに、せっかく危機対応を経験しても2年ごとにポストを異動し、組織的経験も積めないため、いざ危機になった際にドタバタの対応を批判されるという事態を繰り返してしまう。
危機管理活動の直接的な受益者である国民としては、一般の官僚にも高いレベルの危機管理活動を期待したいと思うのは、筆者だけではあるまい。
多くの官僚は、高い志を持って官庁に奉職し、この国をよくするために、日々職務に励んでいる。一方で、その志を持続させることが難しいという実態もある。
「ブラック霞が関」と言われるように、国家の政策立案の本質に関わりのない膨大な些事に手を取られ、勤務時間が朝から朝までという超長時間労働も常態化。「日本の国はどうあるべきか。そのための政策は何が必要で、その実現には何をすればいいか」という能動的な国家論や構想に思索をめぐらし、実行し、国民のために奉仕することが「職業としての官僚」の本懐だが、その時間もなく、民間企業やNGOといった政府外の方々と活発に意見交換する時間もなく、受動的に目の前の些事の処理に追われることが多い。
能力はどうか。
官僚は、日本という船の運航を担う船員である。彼ら1人ひとりの能力が高くなければ、船は進まず、難破する。しかし、前述の「ブラック霞が関」という職場環境も影響してか、総合職(キャリア官僚)志望者も毎年のように減少し、社会の優秀層が集まらなくなってきたと言われている。
また、入省後も、専門能力を高めるための教育や訓練の場はほぼ与えられない。人事院が、官僚人生の節目節目に、課長補佐級研修や課長級研修などを用意しているが、能力向上に有用だと答える官僚は多くないだろう。
危機管理を専門にするインセンティブはない
官僚機構にとって、国民向けのサービスのために予算は獲得できても、自らの能力向上や、トレーニングのための予算獲得は容易ではないし、目の前の膨大な案件処理に追われる毎日を送る彼らにとって、本務と見なされないトレーニングのために時間を捻出することも難しい。したがって、大抵は、職務遂行の過程で得られた知識をその都度アップデートしていくしかない。
まして、「所属省庁の政策領域における行政機構の運営」という専門性以外の専門能力を磨き続けることは、至難の業だ。とくに、そもそも省庁横断的性格を有する「危機管理」を専門とするインセンティブはほぼないだろう。専門能力をつけようと思えば、手段は自己研鑽のみであり、時間的にも金銭的にも肉体的にもそうとうな負担が必要となるのが現実である。官僚の能力を高め、練度を保つためのシステムが担保されていないのである。
それでは、どうすべきか。
官僚が、高い志を維持し、専門能力向上のために継続的なトレーニングを受けられる仕組みが必要である。例えば、待遇改善はもちろんだが、省庁横断的な「危機管理大学校」を作り、一般の官僚に対して危機管理の専門的な教育訓練を提供してはどうか。
自衛官には「防衛大学校」や「幹部候補生学校」「幹部学校」をはじめとするさまざまな教育訓練校が存在するし、警察官には「警察大学校」、海上保安官には「海上保安大学校」、消防官には「消防大学校」があり、専門的な教育訓練を受ける機会を与えられている。
一般の官僚にも危機管理に関する教育訓練を施し、レベルを向上させ、危機時には平時の年功序列を排してそのような専門を持つ官僚を登用するなど、「職業としての官僚」の本懐を遂げられるような体制を構築すべきだ。
一方、船員(官僚)だけでは船は動かない。船長が必要だ。日本という船の行く先を決める舵を握るのは、危機時も平時も、政治家である。とくに、強固な国家的危機管理体制を整備するための改革を進めることは、情熱と固い意志を持つ政治家にしかできない。
「それにもかかわらず!」とは、政治学者マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』に出てくる有名な一節である。ちょうど100年前のスペイン風邪で亡くなったヴェーバーが、新型コロナ危機に揺れる現在に与えてくれる示唆は大きい。
ヴェーバーは、「政治とは、情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」であり、「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間」こそが政治への天職を持つのだという。
国家的な危機管理体制の改革においては、この姿勢こそが求められると、筆者は思う。望ましい改革の方向性は、個々の政治家や官僚の信条によって異なる。したがって、ある方向に向けた改革を行おうとすれば、それとは異なるベクトルを向いている勢力から大きな抵抗を受けたり、現状維持圧力が働くことは当然である。しかし、「それにもかかわらず」、とにもかくにもやるのである。
政治機構改革に乗り出した橋本龍太郎
それを体現したのが、橋本龍太郎元首相だろう。
1990年代は、戦後50年以上が経過して日本の経済的な豊かさが向上し、少子高齢化の進行という内政面の変化に加え、国際社会では冷戦構造が崩壊してアメリカ主導の新秩序が形成されつつあるという外政面の変化が起こっていた。
同時に、相次ぐ金融機関の破綻や官僚の不祥事が国民の不信を増大させたこともあり、社会経済システムの制度疲労が認識された。これらの内政面・外政面の変化に対応するため、その社会経済の制度や施策そのものを立案し運用している中央省庁を中心とする統治機構の改革が求められたのである。
橋本元首相は、1996年1月の橋本内閣誕生と同時に、「変革と創造」をモットーに、中央省庁再編という統治機構改革に乗り出す。
1996年11月の第2次橋本内閣発足時の所信表明演説では、「行政改革には、いろいろな抵抗や困難が予想されますが、私は身を燃焼させ尽くしてもやり抜きます」と固い意志を示した。「火だるま」になっても実行すると評されたその情熱は、内閣官房の強化・内閣府の新設といった政府全体の司令塔を作ると同時に、中央省庁全体を1府22省庁から1府12省庁に再編してスリム化するという形で完遂された。
「この国の形」を模索した第1の改革(明治の統治機構改革=明治維新)、第2の改革(昭和の統治機構改革=戦後復興)に続き、第3の改革(平成の統治機構改革=橋本行革)を成し遂げたのである。
橋本元首相は、「職業としての政治」を体現する政治家であったように思う。
平成の後期以降、日本はさまざまな危機に見舞われてきた。東日本大震災と福島第一原発事故、熊本地震等の相次ぐ震災や豪雨などの異常気象に関連する自然災害、尖閣諸島周辺海域における中国公船の相次ぐ領海侵犯、繰り返される北朝鮮の弾道ミサイル発射、新型コロナ危機。
これらに通底するテーマは、「いかにして国民を守るか」である。それを実行するために、さまざまな統治機構改革が行われてきた。
安倍政権は、外政上の国家安全保障政策を司る国家安全保障会議とそれを支える内閣官房国家安全保障局を設置。また、分散していた陸上自衛隊部隊の指揮命令系統を一本化することで有事や大規模災害への機動力を高めるために、「陸上総隊」を新設した。
菅政権は、新型コロナ危機で露呈した行政のデジタル化の遅れによる危機管理オペレーションの非効率性などの課題を踏まえ、行政のオペレーションを横串で抜本的に効率化すべく、デジタル庁を設置した。
岸田首相は、危機時における政府と自治体の間の指揮統制権限が不明瞭で新型コロナ危機対応で混乱が生じたことなどを踏まえ、内政上の国家的な危機管理オペレーションを統率する司令塔機能の創設を掲げている。
「この国の形」への第4の改革
この、安倍政権→菅政権→岸田政権と続く直近約10年の一連の流れは、安全保障・危機管理体制に焦点を当てた「この国の形」に関する第4の改革(令和の統治機構改革)であると言えるのではないか。安倍政権は外政面、菅政権は横串のオペレーション基盤、岸田政権は内政面の改革を志向しているのである。
岸田政権が、「それにもかかわらず」の気概で、国家的な危機管理オペレーションを統率する司令塔機能を創設し、第4の改革を完成させることに期待したい。「職業としての政治」を体現する固い意志と情熱を示せば、その旗印の下に、「職業としての官僚」を体現する志と能力ある官僚が結集し、改革は実現できる。