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安倍総理の志は死なない!!

維新志士を多く育成「吉田松陰」現代にも響く名言

高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などが薫陶を受けた
濱田 浩一郎 : 歴史学者、作家、評論家
2022年10月10日

左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞(写真:すなすな3rd/PIXTA)
長州藩の武士で、思想家・教育者でもあった吉田松陰は1859年10月27日(旧暦)に処刑されました。吉田松陰は「松下村塾」で若手藩士の育成に努め、門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋ら多くの維新志士がいます。吉田松陰とはどんな人物だったのでしょうか。歴史学者の濱田浩一郎さんが解説します。
波瀾万丈だった吉田松陰の人生
長州藩出身の武士・吉田松陰(1830~1859)の生涯は、30年にも満たない短いものでしたが、ペリーの黒船に乗り込み「海外密航」を企図したり、松下村塾において、数多の有為な人物(高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など)を養成したりと、その生涯は波瀾万丈、多難なものでした。何度も投獄されています。
普通の人ならば、自暴自棄になってしまうような状況ですが、松陰は違いました。やけを起こすどころか、いよいよ、意気軒昂としていたのです。彼は、困難に遭遇しても、なぜそれを跳ね返すことができたのか。松陰の精神状況からその秘密を探ってみたいと思います。
松陰は多くの著作を残していますが、それらの中でも「質量とも第一の書物」と呼ばれる本があります。『講孟余話』。中国・戦国時代の思想家・孟子の問答集『孟子』を読み、感想や意見などをまとめたものです。
しかし、単なる『孟子』の感想文ではなく、松陰の人生観や時勢に関する見解なども記されており、松陰の思想をうかがうことができます。海外密航企図の罪で捕縛され、江戸の獄に投じられた松陰。その松陰を励ましたのが『孟子』の一文でした。
「天がまさに大任をこの人に降そうとするとき、必ずまず、その人の心を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体を飢えしめ、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのである」
松陰の師匠である佐久間象山は松陰の密航事件に連座して、弟子の隣の獄に投じられていましたが、獄中で『孟子』を日夜、暗誦し、自身の見解を書き込んでいたそうです。そこには、
「まだ磨かれていない荒玉も、磨かれて名玉となる。鋼鉄も鍛えられて名剣となる。玉が磨かれたり、刀が焼きを入れられたりすることは、とても苦しいものだ。自らも10年来、海防の問題に苦労したが、ついに投獄されてしまった。しかし、これは天が大任を自らに下そうとして、さまざまな試練を課しているのだ。よって、いよいよ、ますます奮励努力して、天の意志に報いなければならない」
とあったとのこと。松陰は師匠の書き込みを写し取り、自らを励ましていたのです。象山や松陰は、ふりかかる困難は、天が与えた試練だというのです。将来、大仕事を成し遂げるためには、これくらいの困難でへこたれてはならない。だから、天が今、自分に試練を与えているのだと。
才気が衰退して俗物になる者も多いが…
しかし、困難が人をダメにすることも往々にしてあります。松陰が友人から貸してもらった書物の中にも、
「天が優れた才能を下すということは多いが、困難に耐えることによって才能を磨き上げ、立派に完成するということは、とても難しい。小さいころは頼もしく、才気あふれる人も、困苦を経るに従い、才気が衰退して、俗物となる者が多い」
と書いてあったといいます。確かにそうしたこともあるでしょう。では、そうならないためには、どうすればいいのでしょうか。
その書物には、松陰も納得する次のような文章がありました。
「ただ、真に志の堅い人物は、そういう困難に出合えばますます激しく奮い立って、最後には才能を成就させる。だから、霜や雪により桃や李(すもも)はしぼむということがわかり、松の充実した姿がわかるのである。同じように、艱難困苦を経て、初めて、才能が廃れやすいことがわかり、志士はいよいよ発奮することがわかる」
松陰はこの文章を読んで「どうして、桃や李の仲間入りをして、松に笑われていられようか。何としても、努力を重ねて、名玉・名剣にならねばならない」(『講孟余話』)と決意を書き記しています。
困苦を経て「俗物」とならないためには、才能が廃れやすいことを理解したうえで、発奮し、努力を重ねるしかないというのです。すべては自分次第ということでしょう。やるだけやったら、後はジタバタしないということも、松陰は『孟子』から学んでいます。
『孟子』の中に「自分の命が短いか長いかを疑い動揺したりせず、ただ、身を修めて、これを俟つ」との一文がありますが、松陰は「自分の心力の及ぶ限りは尽くして、それから先のことは天命に任せるのである」と感想を記しています。
長寿か短命かは、自分の力ではどうしようもないこと。が、身を修めることは自分でできる。だから「この浮世は儚い」「もう年だし、今から挑戦するのも」などと言うのは、松陰からすれば「怠惰」で「天から与えられた本性を全うしていない」ことになるのです。
人生は「旅館」のようなもの
松陰は、以下のような面白い例え話をしています。
「すべて人は、1日この世にいれば、その1日の食事をとり、その1日衣服をまとい、その1日家に住まう。どうして1日の学問、1日の修行は励まないでいいという道理があろうか。
例えてみれば、旅館のようなものだ。茶屋に入り休み、宿屋に泊まる時は、それぞれ、茶代や宿代を払う。天地は万物の旅宿である。衣食住はじめ天地万物の恩を受けながら、その恩を返そうとしないのは、実に天地の盗人、万物の虫というべきもの。これは茶代・宿代を払わずに、旅館を出るようなもので、何と恐ろしいことか」
人生は、旅館のようなもの。そして衣食住のすべてにおいて、天地の恩恵を受けている。そうであるのに、何も学ばず、身を修めず、怠惰に過ごすのは「盗人」のようなもの、と松陰は言うのです。
松陰は獄中においても、書物を読み、学ぶことを怠りませんでした。それは、このような精神が宿っていたからこそだったのです。
牢獄からはいつ出られるかわかりません。環境は劣悪、獄中で死亡してしまう可能性もある。しかし、松陰は学ぶことを止めなかったのです。まさに「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(『論語』)の精神というべきでしょう。
何でも後回しにする人々への警告
また、松陰はやるべきことをやらずに、何でも後回しにする人々に次のように「警告」しています。
「現在、学問をしている者の中には、自分がまだ年少で先が長いのを頼りにし、何事も後日とか後年とかいって繰り延ばす者がいる。しかし、人間の一生というものは、白い馬が駆け過ぎるのを戸の隙間から見るものというたとえもあるように、はかなく短い。
百年生きたとしても、あっという間である。50歳や70歳にもならず、亡くなる人もいる。また、予測しがたい災難もあろう。そのような中、どうして今なすべきことを後日・後年に延ばし、長命をあてにして、いつまでも心が定まらずにためらっていることができようか」
人生は短い、だからやるべきことはすぐにでもやる。松陰は、今回紹介したような精神を宿していたからこそ、困難にもめげず、さらに飛翔することができたのです。