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「習近平に感謝」の洗脳、汚水タンク漬け…ウイグル“再教育施設”生還者の壮絶証言

出張中に突然、頭に袋を被せられ手足を縛られて連行され、汚水タンクに首まで浸けられての尋問。その後は、12平方メートルほどの狭い部屋に約50人が押し込まれ、「習近平への感謝」を連日洗脳…。中国の「ウイグル人再教育施設」の凄惨な実態を、生還者の証言を基にお伝えする。本稿は、福島香織『ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在』(PHP新書)の一部を抜粋・編集したものです。
出張中に袋を被せられ連行され収容
汚水タンクに首まで浸けられて尋問

 国連人種差別撤廃委員会や欧米メディアが人権侵害の問題として注目し始めた、新疆ウイグル自治区の“再教育施設”とはいったいどんなものなのか。2018年になってから、欧米メディアがだんだんその内情を、実際に収容された人物やその家族から取材して報じ始めた。
『ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)』(2018年8月20日付)の欧州文化神学学院(ドイツ)のエイドリアン・ゼンツ氏のインタビューによれば、“再教育施設”は推計1300カ所以上。その実態は、まさに現代の“ラーゲリ”だ。ウイグル人から尊厳と信仰と伝統と文化を奪い、ウイグル人そのものを中国人に改造する非人道的施設だった。
 その実態を報告するリポートのなかで最も生々しいものの一つは、おそらく、カザフスタン人のオムル・ベカリの告発だろう。
 オムルは、2017年3月からおよそ8カ月、新疆ウイグル自治区カラマイ市郊外の農村にある「再教育施設」に収容されたのち、奇跡の生還を果たした。その後、オムルベク・アリの仮名で証言活動を行い、メディアの取材も受けてきたが、2018年10月下旬にアムネスティ・インターナショナル日本の招聘で東京、大阪などで講演会を行った際には、今後は本名で問題を告発する決心をしたという。
 実名活動への切り替えは、おそらくはその直前の、強制収容中の80歳になる父親の死が関係しているかもしれない。このとき、彼の通訳を担当した在日ウイグル人は私の友人である。彼は、オムルの経験をぜひ日本のより多くの人に伝えてほしいとして、オムルの講演や彼自身が聞いた話を日本語翻訳して提供してくれた。
 ここで、その貴重な体験を伝えたい。
 オムルは1976年トルファン生まれ。民族的にはカザフとウイグルの混血で、成人後はカザフスタンで仕事をするようになった。やがてカザフスタンで国籍を取得し、カザフスタン国民として旅行ビジネスに従事。カザフスタン南東部の都市、アルマトイの旅行会社の副社長を務めるまでになった。2017年3月23日、仕事でウルムチに出張した。仕事を終え、帰国前の3月25日に両親の住む故郷、トルファンの実家に立ち寄った。その翌日の3月26日のことである。突然、武装警察がやってきた。問答無用で頭に袋を被せられ、手足を縛られて連行されたのだった。
 どこに連れてこられたのかは分からない。「最初に血液と臓器適合の検査を受けた。自分の臓器が中国人の移植用に使われるのかと思い恐怖を感じた」とオムルは振り返る。その後、4日にわたり、激しい尋問を受けた。「お前はテロリストを手伝っただろう?」「新疆独立運動に加担したな」「テロリストの主張を擁護したな」……答えないと、警棒で脚や腕を傷跡が残るほど殴られた。だが、拷問に屈して「はい」と答えてしまえばテロリストとして処刑されると思い、必死で耐えた。「私はカザフスタン国民だ。大使館に連絡を取ってくれ」「弁護士を呼んでくれ」と要求しても、無視された。他のウイグル人が拷問を受ける姿も目の当たりにした。両手を吊るされて、汚水タンクに首まで浸けられて尋問されていた。
 寒い夜中、水を掛けられて生きたまま凍えさせる拷問も見た。同じ部屋に収容されていた2人が拷問により衰弱死した。1人は血尿を出しても医者を呼んでもらえず、放置された。
「ウイグル人に生まれてすみません」
狭い部屋に約50人、連日の洗脳

 尋問のあとは、洗脳だった。いわゆる「再教育施設」に収容され、獣のように鎖でつながれた状態で3カ月を過ごした。小さな採光窓があるだけの12平方メートルほどの狭い部屋に、約50人が詰め込まれた。弁護士、教師といった知識人もいれば、15歳の少年も80歳の老人もいた。カザフ人やウズベク人、キルギス人もいたが、ほとんどがウイグル人。食事もトイレも就寝も“再教育”も、その狭く不衛生な部屋で行われた。午前3時半に叩き起こされ、深夜零時過ぎまで、再教育という名の洗脳が行われる。早朝から1時間半にわたって革命歌を歌わされ、食事前には「党に感謝、国家に感謝、習近平主席に感謝」と大声でいわされた。
 さらに、被収容者同士の批判や自己批判を強要される批判大会。「ウイグル人に生まれてすみません。ムスリムで不幸です」と反省させられ、「私の人生があるのは党のおかげ」「何から何まで党に与えられました」と繰り返す。
「『私はカザフ人でもウイグル人でもありません、党の下僕です』。そう何度も唱えさせられるのです。声が小さかったり、決められたスローガンを暗唱できなかったり、革命歌を間違えると真っ暗な独房に24時間入れられたり、鉄の拷問椅子に24時間鎖でつながれるなどの罰を受けました」と当時の恐怖を訴える。
 さらに、得体の知れない薬物を飲むように強要された。オムルは実験薬だと思い、飲むふりだけをして捨てた。飲んだ者は、ひどい下痢をしたり昏倒したりした。食事に豚肉を混ぜられることもあった。食べないと拷問を受けた。そうした生活が8カ月続いた。115㎏あったオムルの体重は60㎏にまで減っていた。
「同じ部屋に収容されていた人のなかから毎週4、5人が呼び出されて、二度と戻ってきませんでした。代わりに新しい人たちが入ってきます。出て行った人たちはどうなったのか」
 常時警官に見張られ、また被収容者同士も相互監視を強いられた。寝るときは、同じ部屋の3分の1の15人ほどが起きて、残りの被収容者の寝ている様子を監視させられた。拷問に慣れ、痛みも感じなくなり、このまま死ぬのだと、絶望していたという。
生還するも80歳の父親が
収容所内で死亡
オムルへの報復のための虐待死か?


『ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在』 (PHP新書) 福島香織 著© ダイヤモンド・オンライン


 オムルが生きてこの施設を出ることができたのは、オムルがカザフスタン国籍をもつ社会的地位のある人間であったことが大きい。中国当局に拘束されたと聞き、カザフスタンに残されていた妻は国連人権委員会へ手紙を書いて救いを求めた。親戚もカザフスタン大使館を通じてカザフスタン外務省に訴え続けた。人権NGOやメディアも動き、ついに2017年11月4日、オムルは釈放された。釈放されたとき、自分が収容されていた場所が「カラマイ市職業技能教育研修センター」であることを初めて知った。
 オムルは自由の身になったが、トルファンにいた両親、親戚ら13人は強制収容されてしまった。2018年9月18日、収容所内で80歳の父親が死亡した。死因は不明だが、ウイグル問題を国際社会で告発し続けるオムルへの報復のための虐待死が疑われている。オムル自身、いまも日常的に命の危険を感じて、一人で出歩かないようにしている、という。だが、自分やいまだ囚われの身の家族の命を懸けても、いまウイグルで起きていることを世界に告発していく強い意志を持ち続けている。