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安倍総理の志は死なない!!

「日本に返したい」遺骨収集尽力、ペリリュー島大酋長死去

親族らと記念写真に収まるイサオ・シゲオさん(前列右から2人目)=5月28日、パラオ(市原直さん提供)© 産経新聞
先の大戦で日本軍約1万人が玉砕したパラオ共和国のペリリュー島で、約70年間にわたって戦没者の遺骨収集などに尽力し、旭日双光章を受章した大酋長、イサオ・シゲオさんが今月8日、84歳で亡くなった。同島には今も2千柱以上の遺骨が眠るなか、イサオさんは地権者を説得し、日本兵の集団埋葬地の発掘調査への道を開いた。調査は来月から着手される見込みで、関係者は「全員を日本に返してあげたいという思いがあったのだろう」と悼む。
イサオさんの両親、シゲオ・テオンさんとトヨミ・オキヤマさんは、島がまだ不便だった頃から日本人遺族らを支援し、「パラオの父」「パラオの母」と呼ばれた。イサオさんも両親を手伝い、遺骨収集団の宿の手配や送迎、日本人慰霊碑の清掃や維持管理などに長年尽力。平成27年4月には、同島を慰霊訪問した上皇ご夫妻がイサオさんをねぎらわれた。
日本戦没者遺骨収集推進協会によると、25年10月に米国の戦史研究家から同島の日本兵の集団埋葬地の位置を示す地図が提供され、別の史料でも1086人が埋葬されたとの情報を確認。しかし、酋長の一人でもある地権者の男性の許可がなかなか得られず、調査は手つかずのままだった。
日本の遺骨収集団からの相談を受け、イサオさんは昨年12月、この地権者の男性を含む酋長らを招いて昼食会を開催。男性に遺骨収集への協力を呼びかけ、その場で署名にこぎつけた。
昼食会に同席した「水戸二連隊ペリリュー島慰霊会」理事の市原直(すなお)さん(75)は「われわれでは何年かけてもできなかったのに、イサオさんがパッと決めてくれた。『困っていることがあれば何でも言いなさい』と、大きな目で語りかけてくれたのが今も忘れられない」と振り返る。
日本の遺骨収集団は来月17~31日にパラオを訪れ、ペリリュー島の日本兵の集団埋葬地と推定される場所の調査のため、樹木の伐採や試掘などを行う。同慰霊会事務局長の影山幸雄さん(78)は「これまではジャングル内の陣地跡や、野ざらしになっているご遺骨を探していた。集団埋葬地であれば、多数のご遺骨の発見につながるだろう」と期待を込める。
イサオさんの葬儀は今月23日に現地で執り行われる予定。イサオさんを「兄弟のようだった」としのぶ影山さんは、「日本人が70年間にわたってお世話になってきた。日本の遺骨収集のために活動してくれた方がいたことを知ってほしい」と話した。(村嶋和樹)
ペリリュー島の戦い
ペリリュー島は日本のほぼ真南、約3200キロに位置するパラオ共和国の小島で、先の大戦中は飛行場も建設された日本の戦略的要衝だった。昭和19年9月に米軍が上陸すると、水戸歩兵第二連隊を中核とする日本軍は地下要塞にこもり持久戦を展開。大打撃を与えたが、2カ月後に玉砕した。厚労省の集計(令和2年3月現在)では、ペリリュー島の戦没者数は1万200人で、これまでに収集された遺骨の数は7794柱。