Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

ネコウヨ戦記 安倍総理と駆けた10年 041


私はネコである。名前はもうない。


バランスを取ることが大事!


From 島倉原@評論家


最近、「マネーの進化史」という本を読む機会がありました。
同書は、イギリスの歴史学者でアメリカのハーバード・ビジネススクールの教授であるニーアル・ファーガソン氏が2008年に出版した本の翻訳です。
http://amzn.to/1wOHfmi


ファーガソン氏は金融史が専攻で、同書も、金融システムの「進化」が世界の歴史や文明の変遷とどのように結びついてきたかについて、古代メソポタミアまでさかのぼりながら、歴史読み物のタッチでつづっています。
1815年のナポレオンとイギリス軍とのワーテルローの戦いに絡んだロスチャイルド家の有名なエピソードなども取り上げられていて、「ネイサン・ロスチャイルドはいち早くイギリス軍が勝利した情報を手に入れてイギリス国債を買い占め、巨額の利益を上げた」という一般的な叙述は実は一面的なものであり、実際はロスチャイルド自身も巨額損失リスクを裏に抱えながらの、イチかバチかの賭けだった、というのが同書の述べるところです(詳しくお知りになりたい方は、是非同書をご参照ください)。


さて、「マネーの進化史」には、間違いなく人類史上最大の金融イノベーションの1つである「保険」に関する1章が存在します。
その中の日本に関する記述を、今回は取り上げてみたいと思います。


同書によれば、第二次世界大戦後の先進諸国の福祉国家制度の指針となったのは、「ゆりかごから墓場まで」で有名な、1942年に発表されたイギリスのベヴァリッジ報告書でした。
戦後の日本でも、1949年に福祉制度の整備を検討するに当たって、同報告を模範にしたそうです。


ところが、世界で最初に誕生した福祉超大国、さらに福祉国家原理を最大限に押し進めて大成功した国は実は日本だった、というのが同書の分析です。
日本の福祉国家制度の源流は実は戦時経済体制にあった。同書ではそのことが以下のように述べられています。


「意味深いことだが、一九三七年七月九日、日清戦争(引用者注:恐らく「日中戦争」の翻訳ミス)が勃発して二カ月後に、日本に福祉を担当する厚生省をつくる計画が帝国政府により承認された。
 厚生省がまずおこなったことは、産業被雇用者向けの既存プログラムを補足する普遍的な健康保険制度の導入だった。
 一九三八年末から四四年末にかけて、この計画によって保障を受ける国民の数は、わずか五〇万人余りから四〇〇〇万人を超え、ほぼ一〇〇倍に膨れ上がった。
 目的は明らかだった。一般国民が健康になれば、大日本帝国軍部に健康な新兵を提供できるからだ。
「国民皆兵」という戦時スローガンは、「国民皆保険」につながった。そして普遍的な補償を確実におこなうために、医療界や製薬業界も事実上、国の傘下に置かれた。(中略)戦後、日本に起きたことは、おおむね戦争福祉国家の延長線上にあった。こんどは、「国民はみな年金制度に加入すべし」とする「国民皆年金」が施行された。」
(「マネーの進化史」274ページ)


「日本とイギリスはまったく異なる文化圏に属している。一見すると、両国の福祉制度は似ているかもしれない。
(中略)だがこれらの制度は、双方の国ではまったく違った機能を果たしていた。
 日本では、平等主義を理想の政策目標とし、社会的に体制順応主義の文化を擁するため、規則に従うことがよしとされる。
 対照的にイギリスの個人主義は、皮肉なことに国民が制度の裏をかく傾向を生む。日本では、企業も家族も福祉制度を支えるうえで大きな役割を果たす。
 雇用主は付帯的な便宜を供与し、労働者を解雇するには二の足を踏む。またごく最近の一九九〇年代まで、六四歳以上の日本人の三分の二が、子どもと同居していた。
 ところがイギリスでは、雇用主は不況時にはためらいなく人員を削減し、国民は年老いた親を国民保健サービスに押し付ける率がはるかに高かった。日本は福祉国家になったことで、経済超大国にのし上がったかもしれないが、一九七〇年代のイギリスでは、逆の効果をもたらすかのように見えた。」
(同276ページ)


上記の記述は、「戦前と戦後は断絶しているわけではなく、戦前の戦時経済体制が、戦後日本の基盤となっている」というコンセプトでまとめられた、野口悠紀雄氏の「1940年体制」を想い出させます。
http://amzn.to/1zkEbfx


同書はもともと1995年に刊行されたもので、私自身が読んだのもかれこれ10年以上前の話になります。
今回、「マネーの進化史」からの連想を受けて2010年に刊行された「増補版」を取り寄せ、「まえがき」と旧版にはなかった最終第11章に目を通してみたところ、こんな記述がありました。


「九五年当時、日本の一人当たりGDPは、世界のトップクラスにあった。しかし、その後日本の順位は継続的に低下した。これは、「日本の失われた一五年」を象徴する変化だ。
 この背後に日本型経済制度の問題があることは、疑いない。現在の日本における最大の問題は、金融機関や経済官庁というよりは、むしろ民間企業(とくに、大企業)にあると考えられる。金融制度や経済官庁の面で戦時経済体制的性格が消滅し、あるいは薄れてゆくなかで、日本企業が持つ戦時経済的な体質は、むしろ強化されていると見ることができるのである。
(中略)
 最後に残った戦時経済体制の問題は、きわめて大きい。この克服こそが、日本経済の再活性化のために不可欠の条件だ。このため、今回付け加えた第11章では、企業の戦時経済体質について論じることにした。」
(「1940年体制 増補版」「まえがき」より抜粋)


そして第11章では、世界でグローバリゼーションが進展する中で、古来のものでも何でもない「一九四〇年体制的な」「日本的なもの」にしがみついていることが、日本停滞の大きな原因になっており、「日本の再活性化のためにはこうしたものが乗り越えられなければならない」と総括されています。


「第三の道」という言葉があります。
資本主義と社会主義、いずれに偏るのでもなく、両者の利点を組み合わせ、あるいは対立を超越した思想や政策のあり方を指しています。
当然、様々なバリエーションがあり、サッチャー流の市場原理主義を部分的に取り入れたイギリス労働党のブレア政権が提唱したようなものもあれば、20世紀前半のいわゆるファシズムもその1つと位置づけられるようです。
戦時体制を基礎として生まれた日本の国民皆保険制度も、直接の目的は総力戦を戦い抜くことであったにせよ、「第三の道」的な行き方を追求した側面もあったと言えそうです。
総力戦に導くに至った当時の国家運営のあり方自体を、どう評価するかは別として…。


結局、100%の正解などなく、その時代の環境に合わせて、資本主義的なるものと社会主義的なるものとのバランスを調整していくべきではないかと思います。
だとすれば、資本主義的な市場原理主義やグローバリズムが行き過ぎた状況をどう調整すべきか、というのが現在優先的に求められているテーマのはずです。
「マネーの進化史」から私なりに歴史の教訓を引き出してみると、そうした環境で現在進められようとしている労働分野での様々な「改革」は、雇用主と労働者の結びつきを弱めることで(いわば日本を「英国病」に陥れて)国民皆保険制度の存立基盤を揺るがし、(英国病の重症化がサッチャー政権登場の舞台を整えたように)より一層新自由主義的な改革へのインセンティブを生じさせると予想されます。
しかし、これでは本来とるべき方向性とは明らかに逆行しています。
してみると、野口氏の総括は到底首肯できるものではありません。
(なお、少々おこがましい言い方かもしれませんが、私自身は、野口氏の着眼点や分析力は著名なエコノミストの中でも高く評価していて、氏の著作には結構目を通していますし、経済問題に関心がある多くの方々にとっても有用ではないかと思っていることを、念のため付記しておきます。
 ただし、氏のように主流派経済学の枠組みでマクロの現象を分析すること自体に違和感があり、私自身は本メルマガでも何度か言及した「内生的景気循環論」という世界観に基づいて分析していることから、しばしば今回のように正反対の結論に到達するのではないかと思っています。)