Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

ネコウヨ戦記 安倍総理と駆けた10年 090


私はネコである。名前はもうない。


【90】アンチ緊縮財政のうねり


From 島倉原@評論家


おはようございます。
台風の影響で梅雨明け宣言が遅れているようですが、先週末あたりからすっかり暑くなり、近頃は起きるたびに汗ぐっしょりです。
皆様もどうぞ熱中症にはご注意ください。


先週、藤井聡さんから、ヨーロッパで「アンチ緊縮」運動が盛り上がっているにもかかわらず、日本ではそうした事実があまり報道されないし、(実は15年以上に及ぶ緊縮財政によって苦しんでいるにもかかわらず)そうした国民運動が起こってもいない、という指摘がありました。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/07/07/fujii-150/


その中で、「アンチ『大阪都構想』=アンチ緊縮」の構図が存在することを指摘した数少ない例外として、拙稿
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/03/26/shimakura-20/


が紹介されたことも踏まえ、日本でアンチ緊縮運動が盛り上がらない要因について、改めて検討してみたいと思います。


【その1:「緊縮財政が日本の経済や社会を長期にわたって停滞させている」という事実が十分浸透していない】


「大阪都構想」の住民投票では、出口調査、あるいは行政区別の世代分布と賛成率の相関関係において、「高年齢層ほど反対率が高い」という傾向が見られました。
そうした結果を受けて、住民投票の直後には、「高年齢層が現状打破に必要な改革の足を引っ張っている」というネガティブなニュアンスで、「シルバー民主主義」という表現も用いられていました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150521-00045905/


上記リンク先の記事でも述べられているように、世代以外に考慮すべき要因の存在や、そもそも賛否の票数が僅差であったことを踏まえれば、こうした世代要因だけで今回の投票結果を説明しようとすること自体には相当無理があるはずです。
他方で、上記の事実が「若年層ほど、現状打破に必要な改革を望む傾向が強い」ことの「一端」を示している、と考えること自体はあながち的外れではないと思われます。
なぜなら、「緊縮財政という現状」のもとで特にしわ寄せを受けて削減されているのは、公共投資・教育といった、現役世代・将来世代にとってより重要な分野だからです。
実際、緊縮財政以降の就業率や正規雇用率の低下度合いは若年層ほど著しいですし、年々の社会保険料率引き上げによって現役世代の負担感は相対的に増しています。


問題は、こうした弊害の真犯人であるはずの緊縮財政が、「現状打破のための改革」という美名のもとに提示されてしまうところにあります。
こうした構図が成り立ってしまうのは、「緊縮財政が自分たちの生活に実害をもたらしている」という認知が乏しいからに他なりません。


そうした認知、あるいは実感が浸透していれば、若年層ほど反対の傾向が強かった今回のギリシャの国民投票のように、全く逆の傾向を示すでしょうし、
http://www.nikkei.com/article/DGKKASGM06H5K_W5A700C1FF8000/


現に、高年齢層についてではありますが、「『大阪都構想』の住民投票でも、『緊縮財政による実害のおそれ』が反対の重要な原動力の1つとして働いていた」という報道がないわけではありません。
http://dailynewsonline.jp/article/966487/?page=all


してみると、「正しい認知がより浸透していれば、若年層の反対率が少なからず高まり、『大阪都構想』はもっと大差で否決されていただろう」という仮説は十分妥当であるといえるでしょう。


手前味噌ですが、緊縮財政が多方面にもたらしている実害を確認するなら、是非こちらを参考にしてください。
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【その2:緊縮財政が国策、あるいは国民的合意として進められている】


ギリシャの緊縮財政はいうまでもなく、ドイツを中心とするEUに押し付けられたものですし、同様な影響は他のユーロ圏諸国にも及んでいます。
また、若干構図は異なりますが、藤井さんが事例として指摘されたスコットランド独立運動のアンチ緊縮運動的側面にしても、もともと異民族と意識されている「イングランド人」から緊縮財政を押し付けられたことに起因しています。
そうした「押し付け感」が、緊縮財政の弊害に対する反発ひいては実感を高め、アンチ緊縮運動の盛り上がりに少なからず寄与していることは、十分考えられます。


対して日本では、政府自らが「政府の借金が過大だから、財政支出は抑制しなければならない」というスタンスのもとで、緊縮財政を推進しています。
政権与党は自社さ・自公・民主、そしてまた自公と入れ替わりこそすれ、こうしたスタンスは1995年の「財政危機宣言」以来、全くといっていいほど変わっていません。
そして、こうした動きは「構造改革」「財政再建」という名のもとで妥当な政策としてマスメディアでも報道され続け、多くの国民もそれを容認(少なくとも「反対するまでのことではない」と認識)しています。
しかしながら事実は全く逆で、むしろ緊縮財政の実施以降、政府の借金は対GDP比で過大になっています。
http://on.fb.me/1uwxhyc


そうした事実が余り省みられずに緊縮財政が推進される背景に、いわゆる主流派経済学に起因する誤った世界観が存在することについては、上記の拙著などをご参照ください。
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他方で、「なぜ、そうした流れが作り出されてしまうのか」を理解するにあたっては、例えば、藤井さんが書かれた下記の書籍などが参考になるかもしれません。
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【その3:「アンチ緊縮」「積極財政」のビジョンを掲げる政党が存在しない】


上記で列挙した各党はもとより、いずれを見渡しても、「アンチ緊縮」あるいは「積極財政」のビジョンを掲げる有力な政党は日本に見当たりません。これもまた、ギリシャをはじめとしたヨーロッパの動きとは決定的に異なる点です。
一部それらしき政策を掲げている政党はあっても、今の流れに調子を合わせて表面的な「無駄の排除」「財政健全化」をも掲げているため、整合性が取れていません。
民主党や維新の党、あるいはかつてのみんなの党のように、政権交代政党や第三勢力としての存在感を示してきた政党は、むしろ緊縮的・新自由主義的な政策を掲げています。
あえて言うなら、最も「アンチ緊縮」に近いのが共産党で、昨年の総選挙でも得票数・議席数とも大幅に伸ばしましたが(そういえば、藤井さんが先週紹介された、スコットランド独立運動を報道した記事も、「しんぶん赤旗」のものでした)、「確かな野党」以上の存在になるのは現実的ではないでしょう。


こうした現象は、「経世済民」の担い手であるべき政治家の多くが、主流派経済学の影響も受け、経済の現実や財政政策の重要性を理解していないが故に生じています。
国民としても、投票行動でアンチ緊縮の意思表示をすることもできず(多くの国民はそもそもそうした発想を思い浮かべることもなく)、かえって緊縮的・新自由主義的な政策が推し進められてきたのが、過去20年余りの日本の状況といえるでしょう。


しかしながら、上述した直近の共産党の躍進は、「アンチ緊縮」「積極財政」といったビジョンが、日本でもある程度受け入れられる素地が存在することを示していそうです。
だとすれば、そうしたビジョンを掲げる政党が登場すれば、国民の一定の支持を獲得することは十分考えられます。
そうなると、マスメディアとしてもある程度はそうした論点を取り上げざるを得ず、「アンチ緊縮」がより多くの国民に浸透するようになることでしょう。
さらに、そこまで来れば、緊縮財政が外からの押し付けではないことが、むしろ積極財政の実現性を高める要因としてはたらくでしょう。
政党が先か、国民の意識が先か、ニワトリと卵のようなところがありますが、既存政党による緊縮的・新自由主義的な流れに対峙する「積極財政の確かなビジョン」を掲げる政党の存在が、突破口として必要な状況なのかもしれません。
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