Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

川勝知事「知性の高い」発言がマズいこれ程の理由

「上から目線」「臆測による対比」あとひとつは?
城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー
2024年04月03日
静岡県の川勝平太知事が「職業差別」ととられる発言を行って、あらゆる方向から非難されている。問題視されているのは、農業や畜産業などと対比させて、県庁職員を「知性の高い」存在と評した発言だ。川勝知事は、すぐさま辞意表明したものの、発言そのものは不適切ではないとの認識を示し、いまなお沈静化はしていない。
ネットメディア編集者として、これまで数々の「炎上」を見てきた筆者からすると、失言は起きるべくして起きたものだと考える。というのも、川勝知事はこれまでも問題視される発言を度々行ってきて、ときには撤回・謝罪したこともあったためだ。
しかし今回の発言を見るかぎり、その反省は生かされなかったと言えるだろう。「知性の高い」発言は、なにがマズかったのか。過去に問題視された川勝知事の発言を振り返りながら、3つの観点で考えてみたい。
以前から繰り返していた「物議を醸す発言」
話題の発言は2024年4月1日、新入県庁職員向けの訓示で行われた。
川勝知事は、県庁はシンクタンクであると表現しながら、「毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりだとか、あるいはモノを作ったりだとかと違ってですね、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い人たちです。ですから、それを磨く必要がありますね」と発言。これが職業差別ではないかと批判の的となった。
対応に注目が集まるなか、翌日夕方に川勝知事が、報道陣の取材に応じた。
しかしながら「問題発言があったかのごとき状況となって、本当に驚いている」「不愉快な思いをされたということであれば、誠に申し訳ない」「不適切ではない」などとして、発言内容が職業差別だとは考えていない認識を強調。そして唐突に、6月の県議会での辞任を表明した。
川勝知事の電撃辞任表明を受けて、SNS上では「擁護する余地がない」「特権意識が露骨すぎる」「まったく反省していない」などと非難がこだましている。なかには「辞任が遅すぎる」といった声もある。
確かに川勝知事は、以前から物議を醸す発言を繰り返していた。それらを振り返りながら、今回の発言と重ね合わせてみると、共通する「3つの問題点」があることに気づいた。
【問題点1】にじみ出る「上から目線」
【問題点2】根拠のない「臆測による対比」
【問題点3】自説にとらわれ、世論を認識できていない

順に解説していこう。
「上から目線」はなぜ良くないのか
【問題点1】にじみ出る「上から目線」
今回の発言からは、県民より県庁職員を上位に置いているような印象を受ける。
また「訓示」という性質から、新入職員より自身の立場が上であるという構図もあり、川勝知事を頂点に置いた「静岡県の権力ピラミッド」のような印象を覚えてしまう。
そこで思い出したのが、2015年の出来事だ。テレビカメラも入った会談の場で、川勝知事が当時の田辺信宏・静岡市長を「キミ」と何度も呼び、田辺氏は「静岡市長です。ずーっと気になっていた」と苦言を呈した。
確かに川勝知事の方が年長者ではあるが、田辺氏も市民から選ばれた存在だ。しかも静岡市は政令指定都市であり、自治体としての権限もそれなりにあるのだが、この発言からは「県知事である自分が上」というイメージを与えて反発を呼んだ。
【問題点2】根拠のない「臆測による対比」
続く問題点は、数値的根拠に乏しい比較だ。県庁職員が他の職業と比べて「知性が高い」という根拠はなく、そもそも対立構図に持ち込めるものでもない。そんな、指標が明確でない状態での「臆測による対比」は、過去にも行われていた。
たとえば2021年には、参院静岡補選の応援演説で、御殿場市を地盤とする対立候補について「あちらは(特産となる食材が)コシヒカリしかない」などと発言。これを発端として、県議会に辞職勧告決議案が出され、可決したものの、知事職は辞さなかった(後に不信任案も出され、1票差で否決されている)。
今回の発言も、客観的なデータを示さずに「職員は頭脳、知性の高い存在」と表現したことにより、相対的に他の職業は「それより下」と位置づけられてしまった。かつて早稲田大学教授などを務めた川勝知事らしくない、エビデンスに乏しい発言と言えるだろう。
誠実さにも欠けていた
【問題点3】自説にとらわれ、世論を認識できていない
もし問題視される発言をしても、周囲からの指摘を受けて、柔軟に対応できれば、最悪の事態は回避できる。しかし川勝知事の場合には、自説と世論のギャップを正確に認識して、誠実に向き合っていたかの点で疑問が残る。
たとえば、2021年6月には知事選期間中に、かつて自身が学長を務めた大学の学生について、「みんなキレイ」「顔のキレイな子は、賢いことを言わないとキレイに見えない」などと発言。その内容が約半年後に報じられると、女性差別やルッキズムの文脈で批判を浴びた。
川勝知事は同年12月2日の会見で「一言で言えば、不適切そのもの。撤回し、お詫びを申し上げたい」として、「差別はしないというのが基本的な私の姿勢」「言葉遣いも含めて、正確を期して発言するというふうに改めないと駄目」との認識を示していた。
また会見では「パターン化した時代錯誤的な発言ではないかと思います」とも言っていたが、今回の発言と対応を見るかぎり、その認識が維持されているとは、なかなか考えがたい。
——と、ここまで考えをまとめたところで、「電撃辞任」の報を受けた。結果的に表明会見となった、報道陣による囲み取材の映像を見ると、もうひとつ「最大の問題点」があることに気づいた。それは、他責的な傾向が強すぎることだ。
囲み取材で川勝知事は、「知性の高い」発言が一部を切り取られて報じられたとの認識を示し、「全体の趣旨は『静岡県に奉仕する公僕として、しっかり勉強してください』。(約20分の全編を)ご覧いただければ誤解が解ける」などと主張。言論の自由は重んじているが、ジャーナリズムやメディアの「質の低下」を感じるとして、報道機関の責任を問うた。
たしかに昨今、センセーショナルな発言に焦点を当てる「切り取り報道」は問題視され、メディアの社会的責任が問われる場面も少なくない。しかし、文脈を踏まえるからこそ、よりアウトとなる発言もある。「全体」で見るからこそ、その根底にあるものが透けて見える。
皮肉にも、川勝知事の訓示も、そのひとつだ。静岡県公式のYouTubeチャンネルに上がっている動画を見ると、他にも際どいフレーズがある。たとえば訓示の終盤には、開催中の「浜名湖花博2024」に触れながら、「浜松市ってのはモノづくりの職工さんの街かと思っていたら、こんなキレイな所があるんだと」と発言している。
前段において、モノづくりを引き合いに出しつつ、職員の「知性の高さ」に触れておいて、後からこの表現をすれば、聞き手にどのような印象を残すだろうか。むしろ切り取らないことで、際立ってくるものもある。
統率力は、夢を見させるものであってほしい
今春入庁した県庁職員は、わずか2、3カ月で上司が変わることとなる。次期知事が誰になるかによっては、大幅な方針変更も考えられる。そもそも新生活の不安が募っているところに、「ボス」の交代も重なるとなれば、なおさら心配だろう。
リーダーシップを執るうえで、しかるべき人物が「強い発言」をするのは、テクニックとして効果的なのはわかる。しかし、その統率力は、誰かをおとしめたり、責任を押しつけたりして生まれるのではなく、ポジティブに、夢を見させるものであってほしい。
これは決して川勝知事に限らず、全国の首長や、ひいては民間の経営者にも言えることだ。誰かとの競争に固執するのではなく、自分の持ち味を最大限に発揮しようと試みることで、見える世界も変わってくる。職員のモチベーションを高めるためにも、夏には決まるであろう後任知事には、明るい未来を切り開いてほしいものだ。