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安倍総理の志は死なない!!

ロシアに無知だったEUはソ連のように自壊する

ロシアを民主主義の反面教師としてきた欧州のツケ
的場 昭弘 : 哲学者、経済学者
2024年04月11日
チルチルとミチルの『青い鳥』で有名なベルギーのメーテルリンク(1862~1949年)の戯曲に『盲目の人たち』(Les Aveugles)という作品がある。その1つは、こういう話だ。
ある盲目の老人が、「誰か部屋に来ていないか?」と何度も部屋の中の人たちに尋ねるのだが、そこにいるすべてのものが、「いや誰も来ていない」と答える。老人は、いや部屋には誰かいると不安げに何度も問いかけるが、また「誰もいない」と答える。
メーテルリンクの戯曲『盲目の人たち』
老人は娘の死の予感に苛まれ、誰か知らせに来ていないかと尋ねたのである。結局、老人の予感通り、それから数時間後、娘の死を知らせに1人の人物が現れる。
フランスで、シルヴィー・カウフマンという女性ジャーナリストが書いた『盲目にされた人たち―ベルリンとパリはなぜロシアに道を自由に開いたのか』(Les Aveuglés,Stock,2024)という本が、2024年初めにフランスでちょっと話題になった。
この本の主題は、この盲目の老人のように不安にならずに、「ロシアがヨーロッパに攻めてくる」などという予感を誰も感じなかったのはなぜか、という話だ。
本書はゴルバチョフ時代の1986年、反体制理論物理学者でノーベル賞受賞者のサハロフ博士が、流刑されていたゴーリキー市(現在のニジノノブゴロド市)から釈放されるところから始まる。
それからソ連の崩壊、そしてロシアの成立の時代が来る。その後のロシアは「西欧に近づき、西欧化するものだ」という予感に、ヨーロッパは満ちあふれていた。
ところが、実際のロシアはどんどん西欧の期待を裏切っていく。西欧は、ソ連崩壊と東欧のヨーロッパ化のユーフォリア(幸福感)に包まれた中で、ロシアが西欧に「われわれはヨーロッパではない」という最後通告を突きつけることに、誰も気づかなかったという内容が記されている。
一方で、2024年2月にアメリカFOXニュースの名物アンカーであるカールソンがプーチン大統領にインタビューしたときの内容をこの書物と照らし合わせてみると、話はまったく逆になっているのだ。
プーチンは、アイルランド出身の劇作家・小説家のサムエル・ベケット(1906~1989年)が書いた『ゴドーを待ちながら』よろしく、ヨーロッパからの招待状を待っていたのだが、待ち人はとうとう来なかったというのである。
決定的な分かれ目は、2008年4月にブカレストで行われたNATO(北大西洋条約機構)首脳会議だという。西欧はプーチンのロシアに配慮しすぎ、ロシアが次第に反撃に出てくることに気づかず、ウクライナ問題について甘い判断をしてしまったのだという。
ロシア脅威論からロシアへの恐怖論へ
2024年になってウクライナの敗北が確かなものになり、ロシアの軍事力の強さが明らかになるにつれ、ロシア脅威論が再出現した。そして次第にそれは「ロシアへの恐怖」という形に変わりつつある。
それまでNATOの主役だったアメリカやイギリスが、ウクライナ戦争の後方に退き、フランスがウクライナ支援の矢面に立ちつつある。フランスはすでにオデッサ(オデーサ)や、前線に兵士を送り戦争への参加を決めているともいわれる。
歴史を振り返ると、1814年4月、ナポレオンを追ってロシア軍がパリに出現したとき、それまで漠然とあったにすぎないロシア脅威論が一気に現実のものへと変わった。フランスやドイツに残る「野蛮なコサック人」という話は、このときのロシア兵の傍若無人ぶりを表現する伝説的な話でもある。
これは、ときにはタタール人、そして13世紀にヨーロッパへ侵攻したモンゴル人の脅威へと組み替えられ、やがてアジア人という黄色人種への脅威、黄禍論へと変貌していく。
1812年のナポレオン侵攻当時、「ロシア人は最初から侵略的民族だ」とする内容の『ピョートル大帝の遺書』という書物が出され、後にこれは偽書であることが判明した。(『ピョートル大帝の遺書』については、2023年5月10日「ウクライナ戦争の停戦を邪魔する西欧のロシア観」を参照)
しかしこの偽書の内容が真実味を持ったのも、欧州がロシアに対して上記のような見方をしていたことが背景にあったためだ。しかし、ロシア軍がフランスになだれ込む原因をつくったのはフランス・ナポレオンのロシアへの侵略(フランスから見れば解放なのだが)だったことは、この話から完全に忘れられている。
ロシアから見れば、侵略的民族はフランス人、そして第2次世界大戦で攻めてきたドイツ人のほうであり、ロシア人ではないのだ。
皮肉な話だが、ヨーロッパとりわけ西欧が、西欧というアイデンティティーを持ち得たのは、このロシア脅威論があったからだともいえる。
ヨーロッパのロシアへの脅威は、自由と民主主義のヨーロッパという一種の信念によって、野蛮な民族から民主主義と人権という西欧がもたらした普遍的文明を守るという、ヨーロッパ人の自負とあいまって、ヨーロッパ中心主義を形成した。それがヨーロッパは統合すべきというEU(欧州連合)を生み出す力になったともいえるのである。
「西欧の統一」とロシアの脅威
ロシアの脅威がツァー体制として存在していた19世紀、共産主義のソ連として存在していた20世紀、それに対抗する西欧の統一というアイデンティティーは、あえて問う必要もないほど、確かなものに見えた。
ところが1991年のソ連邦崩壊、そしてその後のロシアのヨーロッパ接近とEUの拡大によって、ヨーロッパは末広がりとなりながら、ヨーロッパたる求心力を次第に失っていったのである。それは、ロシアという敵がいなくなったことで、自らのアイデンティティーが失われたからだ。
もしロシアがNATOそしてEUに入っていたらどうなっていたであろう。ヨーロッパがロシア人を「文明化し」、西欧の高みにまで引き上げていたら、そのときヨーロッパ人であることの意味は失われていたかもしれない。
ロシアが脅威であることにヨーロッパが気づかなかったのではない。脅威でなくなることを恐れたのである。
ロシアの脅威がなくなると、ヨーロッパはヨーロッパを1つにしていた「民主主義と人権」という意識を失うことになる。反面教師という言葉があるが、ヨーロッパはロシアを民主主義と人権の反面教師とみなすことで、つねに自らを振り返る鏡のような役割を求めていたのである。
だからロシアをヨーロッパの外に置くことを決めたのは、ロシアではなくヨーロッパなのだ。ロシアを脅威にしているのは、ロシア人ではなくヨーロッパ人である。だからこそ、ヨーロッパに入れてもらえると期待していたのに、それが実現できなかったことを嘆くのは、ロシア人のほうかもしれない。期待した「待ち人」は来なかったのである。
ロシアという脅威は、ロシアという地域に存在しているだけではない。ヨーロッパからすれば、ロシア以外にも中国、インド、中東などという「別のロシア」が存在している。もし、ロシアがEUやNATOに入っていたら、中国という次なるロシアを見つけねばならないはずだ。
ロシアを文明化した後は中国、中国を文明化した後はインドといった具合に、世界を西欧文明に巻き込み、その価値観を押しつけ続けるしかない。幸いにも彼らが抵抗してくれれば、それらの地域を野蛮な帝国と位置づけ、聖戦として戦うことで、ヨーロッパのアイデンティティーを確認すればいい。
ウクライナよりEUが崩壊する?
とはいえ、文明は1つではないし、歴史も1つの方向に進むものではない。西欧文明はあくまで西欧文明なのである。ロシアは西欧文明ではない。いわんや中国やインドは西欧文明ではない。それでいいのだ。
そうした伝統ある文明は、太陽系の中心の太陽のようにまわりの周辺文明を引きつける。だからそうした文明に挑戦すれば、やがてはその引力に引き寄せられ、引き裂かれて、その系の一惑星になる可能性がある。
ウクライナ戦争が始まったとき、まさにロシアという敵が出現したことで、米欧諸国は1つに団結できた。政府もマスコミもこぞってロシアを悪役としてあぶり出し、正義の同盟としてのNATOを鼓舞した。
しかし、西欧にとってロシアという敵は、本当はロシアだけではなく、「野蛮な」アジアやアフリカ諸国であることを知ったアジア・アフリカ諸国の多くは、NATOの側ではなくロシアの側に立ったのである。
そうした問題が起きれば起きるほど、西欧の団結よりもアジア・アフリカ諸国の団結が力を得てくる。そうした状況の中、西欧諸国の中には不安を持つ国が出てきている。
とりわけ少し前までソ連の衛星国であり野蛮の象徴であった東欧諸国は、1989年以降の西欧に引き寄せられた歴史を思い起こすはずだ。西欧諸国にとって東欧諸国は西欧の周辺諸国にしかすぎず、捨て駒なのだ。自らもウクライナになる可能性があるのだ。
今ここで西欧が再びロシア脅威論を声高に叫んでいるのは、ヨーロッパの中で起こりつつある仲間割れを防ぐためかもしれない。ウクライナはもうもたないであろう。すでに、インフラ設備は破壊され、電気もガスもない状態だ。戦える状態ではない。
しかし、その死に体のウクライナを支援し戦争を継続させるとすれば、ウクライナの消滅だけで済まなくなる可能性もある。EUの中でも、民衆と政治権力を握る特権エリートとの対立が起きている。まして戦争に加担するとすれば、EU諸国の民衆も黙っていないだろう。
大きな文明は周辺文明を引き寄せると述べたが、ロシア文明と中東文明は過去の2世紀の間、太陽の役割を果たしてきたヨーロッパ文明を引き寄せ、こなごなにするかもしれないのである。歴史を見れば、その可能性は強い。
崩壊するのは、EUかもしれないのだ。それは、ロシアによるというよりは、自壊といったほうがいいかもしれない。ソ連が自壊したように、EUも自壊していくのかもしれない。