Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「一つの中国」を崩せ!!

 高まる嫌中世論の裏返しとして、メディアや世論で台湾への情緒的傾斜が目立ち、菅義偉政権の高官が台湾を「国家」扱いするなど「失言」も相次ぐ。台湾民主化を理由に日本の「一つの中国」政策の見直しを求める声もあるが、その壁は固くハードルは高い。
 2022年は、田中角栄首相が1972年に訪中し周恩来・中国首相と国交正常化共同声明に調印してから半世紀となる節目である。当時、日本とアメリカは台湾の「中華民国」政府と国交があり、台湾は、対中正常化の最大の障害だった。そして今も台湾問題は、日米と中国との対立・衝突の火種になっている。日本の「一つの中国」政策はいったいどのように確立され、台湾問題はどう扱われてきたのか。
日中共同声明に込められた
 1972年の日中共同声明の第2項は、日本政府は「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と規定し、台湾問題の最大のポイントとなる第3項では「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」と書いた。


 「台湾独立」をはじめ「一中一台」「二つの中国」に反対する中国政府は、「一つの中国」を「政策」ではなく「原則」と表記し、日中関係の「政治的基礎」として日本側に厳守を求めてきた。中国の「原則」は(1)世界にはただ一つの中国しかない、(2)台湾は中国の不可分の一部、(3)中華人民共和国は中国を代表する唯一の合法政府、という主張から成る。
 中国の「一つの中国」原則に対し、外務省など日本側は第3項後半の前段で、中国政府の「立場を十分理解し、尊重」すると表現したのは、「台湾は中国の一部」という中国側の主張を「全面的に認めたわけではない」という主張を担保するためだ。「一つの中国」政策の見直しを主張する勢力や台湾も、この立場をとっている。


アメリカの政策は台湾の将来について曖昧
 これに対し、アメリカの「一つの中国」政策はどうか。日米関係に詳しいマイク・モチヅキ・ジョージワシントン大教授は筆者に、アメリカの「一つの中国」政策は、(1)1972年、1978年、1982年の3つの米中コミュニケ、(2)1979年、台湾への防衛的兵器供与をうたった「台湾関係法」、(3)レーガン大統領が1982年台湾に約束した、台湾への兵器供与の終了期日を定めない「6つの保証」、(4)クリントン大統領が1998年6月に出した、台湾独立を支持しないなど「3つのノー」政策から構成されると説明したことがあった。
 このうちニクソン大統領訪中時の「上海コミュニケ」(1972年)は台湾について、「アメリカは、台湾海峡の両岸のすべての中国人は、中国は一つであり、台湾は中国の一部であると主張していることを認識する(acknowledge)」 と書く。日中共同声明同様、中国の主張をそのまま認めたのではなく「中国の主張を了解し反対しない」という意味であろう。
 それにしてもアメリカの「一つの中国」政策は、主張とトーンがまるで異なる文書を、1つのおもちゃ箱に一緒に放り込んだような内容ではないか。日本の「一つの中国」政策が、台湾の中国返還にまで踏み込んだ含みがあるのに対し、台湾の将来には曖昧なアメリカの政策とは、大きな差があることを認識しておく必要がある。
 アメリカはトランプ時代から現在まで、米台高官の相互訪問を認める「台湾旅行法」など、台湾関与を強化する政策を進め「一つの中国」政策の「空洞化」を狙っている。日本でも、台湾についての国際的合意を指す「72年体制」を、台湾の民主化を理由に見直すよう求める声も出ている。
 バイデン政権は、日本に台湾問題でより積極姿勢をとるよう求め、菅政権もそれに従って「親台湾政策」を進めてきた。台湾へ3回にわたりワクチンの優先供与を決定したのをはじめ、政権高官の「失言」も多い。麻生太郎副総理・財務相は2021年7月5日、中国が台湾に侵攻すれば、安全保障関連法に基づき「存立危機事態」と認定し、集団的自衛権の限定的な行使もありうると発言した。


日本国憲法と日米安保条約の共存が崩れた
遠景から眺めると、日本は戦争の放棄をうたった日本国憲法と、日米同盟を外交・安全保障の基軸に「軍事による平和」を前提にする日米安保条約の「二つの法体系」の下で生きてきた。政治的に対立しても、経済のパイ拡大には左右両派とも異存はなく、右肩上がりの経済の下で、矛盾する二つの法体系は「共存」してきた。
しかし安倍晋三政権は2014年、憲法改定によってではなく憲法解釈変更によってこの矛盾を突破した。翌年、集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を成立させた。「安保条約」が「憲法」に勝ったのである。