Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

中国の独裁者・西太后、その「豪華にして絢爛たる生活」があまりに凄まじかった…!

〈この部屋は三方が上から下まで棚で覆われ、その棚には、どれにも宝玉が入っている紫檀の盒(はこ)が積んでありました〉(『西太后に侍して』p.79)


いまやアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国として存在感を高め、よくも悪くも世界からの視線を集めている中国という国。
日本も、「隣人」として中国と付き合っていくため、中国的な発想や思考などの特徴を詳しく知っておく必要があることは言うまでもない。
中国の特徴を知るのにもっとも有効な方法の一つが、その歴史を知ることである。中国の歴史は、さまざまな独特のエピソードであふれており、その細部からは、複雑な陰影を持つ中国の相貌が見えてくる。
50年以上にわたって権力を握った
さて、「中国の歴史」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのが、スケールが大きな権力者・独裁者の存在……という人も多いのではないだろうか。
そんなケタ違いの権力を誇った数々の中国の統治者たちのなかにあって、日本でもよく知られているのが、清末の独裁者・西太后である。
1835年に生まれ、清の咸豊帝の後宮に入り、帝の唯一の子供を産んだ。25歳のときに咸豊帝が死去すると、わが子である同治帝が即位する。宮中の反対勢力を一掃して、西太后は幼い帝の後見人として権勢を誇る。
やがて、同治帝が若くして亡くなると、今度は甥の光緒帝を即位させるが、光緒帝が自分の意のままにならず改革へと歩を進めようとしていることに気づくと、この帝を幽閉し、改革派を潰すべく行動に出る……。
1899年の義和団事件では、列強勢力との対決姿勢を明確にするが、清が破れると西安に遁走し、やがて北京に戻ってからは、独裁的な政治体制を保ったまま、富国強兵に乗り出す——1908年に死去するまで、50年以上にわたって、権力の座にありつづけた。
独裁者のプライベート
ところで、中国の宮中の出来事は、なかなか外に出てきにくいと言われるが、じつは西太后の「プライベート」については、ある書物の存在によって、その詳細が明らかになっている。
その書物が、『西太后に侍して 紫禁城の二年間』である(現在は、講談社学術文庫で読むことができる。翻訳は太田七郎、田中克己)。
著者は、徳齢という女性だ。
徳齢は、清の武人・軍人、外交官(「漢軍正白旗の旗人」という身分であった)の裕庚(ゆうけん)の子供として1881年に生まれ、日本とフランスにわたり、その後、1903年に清に戻ってからは西太后の「話し相手」として、2年のあいだ彼女の側に仕えた。
同書は、その2年の出来事を徳齢がのちに振り返ったものである。西太后は普段どのような生活をしていたか、どのようなものを食べていたのか、どのような会話をしていたか……。興味深いエピソードの数々が人々の注目を集めたのだろう、1911年に初版が上海で出版されると、ベストセラーとなったという。
以前、本サイトで明治大学の加藤徹教授が解説した通り、徳齢はかなり目立ちたがりだったとされており、同書にもやや「盛り気味」のところもあるようだが、中国の圧倒的な権力者を間近で見た記録としてきわめて貴重なものであることは間違いない。
たとえば、西太后は宝石(宝玉)を大量に所有していたことが明かされている。この記事の冒頭でその様子について簡単に紹介したが、本書ではさらなるディテールが展開される(読みやすさを考えて、改行のみあらためてある)。
〈……陛下は私を別室にお連れになって、宝玉のしまってある処をお見せになりました。この部屋は三方が上から下まで棚で覆われ、その棚には、どれにも宝玉が入っている紫檀の盒(はこ)が積んでありました。盒のうちには小さい黄色の細い紙片が貼りつけてあって、それに内容が記してあるものもありました。
太后陛下には部屋の右手の盒の列をお指しになって、おっしゃるには「ここが私の気に入りの毎日つける宝玉をしまっておく処ですから、あなたはときどきやって来て、みんなあるかどうか改めてください。残りはみな私が特別な場合につける宝玉です。この部屋に三千盒ほどあります。まだたくさん金庫に鍵をかけてしまってありますが、いずれ私の暇な時に見せてあげましょう」〉
珊瑚と玉で出来た牡丹の花
さらに徳齢はこうつづける。
〈……それから陛下は「今日の午後に暇の時、あなたとこの表を調べてみましょう。一番目の棚にあるあの五つの盒をもって来てごらん」とおっしゃいました。私はこの五つの盒を陛下のお部屋に持って行って、卓の上に載せました。
陛下が最初の盒の蓋をお開けになると、そのなかには珊瑚と玉(ぎょく)で出来たこの上なく美しい牡丹の花が入っていました。一枚一枚の花弁がほんとの花のように顫(ふる)えています。この花は、珊瑚で出来た花弁を非常に繊(ほそ)い真鍮の針金でつないで細工したもので、純粋の玉でこしらえた葉もやはりそうなっています。陛下はこの花をお採りになって、髪飾りの右側におつけになりました〉
〈それから陛下は別の盒を開けて、同じように製(つく)られた素晴らしい玉の蝶々をお出しになりました。この細工は陛下の御創案になるもので、珊瑚や玉を花弁の形に彫り、下の端に孔をあけて、そこに真鍮の針金を通すのです。
ほかの二つの盒にはいろいろな形の鐲(うでわ)や指環が入っていました。真珠をはめた金の鐲一組、玉をはめた別の金の鐲、小さな金鎖の端から玉の珠が下がっているなどでした。最後の二盒(ふたはこ)には真珠の纓絡(ようらく)が入っていましたが、こんなみごとなものは私はまだ見たことがありませんでした。
それで一目でこの纓絡が好きになりました。陛下は梅の花の纓絡をおとり上げになりました。これは大きな真珠をかこんでいる五つの真珠の輪から、一つの真珠につながり、それから別の大きな真珠をかこんでいる五つの真珠の輪につながるという具合にして、かなり長いくさりになっているもので、それを陛下は袍(ガウン)の鈕(ボタン)の一つからお下げになりました。〉
こうした権力者の行動の細部から、中国という国の姿がフッと顔をのぞかせることもあるかもしれない。中国について知ってみたいと思う方は、同書を手に取ってみてはいかがだろうか。