Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

人間ドックで異常な数値が…安倍元首相が「潰瘍性大腸炎」闘病中に吐露していた“気弱な心境”

「ごく初期のころは不妊治療も…」安倍晋三・昭恵夫妻が語っていた「家庭の実像」 から続く
 20年にわたり安倍晋三氏を取材してきた、元NHK記者の岩田明子氏。このたび上梓した 『安倍晋三実録』(文藝春秋) では、安倍氏の肉声を記録した膨大な取材メモから、その実像を描いている。
 ここでは本書を一部抜粋して紹介。安倍氏が患っていた「潰瘍性大腸炎」は、大腸に炎症が起きて粘膜が傷つき、ただれたり潰瘍ができたりする難病だ。切迫した便意などに悩まされる一方で、症状が目に見えないため、周囲の理解を得づらいという苦しみもあるという。持病との戦いのなかで、安倍氏は“弱気な心境”を吐露していた。(全2回の2回目/ 最初から読む )

©文藝春秋© 文春オンライン
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 安倍が「総理三選」への意欲を燃やした背景には、自民党総裁の任期を1年残す中で第2次政権の退陣を余儀なくされた悔恨の念がある。
 2020年8月28日午後2時過ぎ。安倍退陣の意向がNHKの速報で流れると、自民党本部や議員会館はたちまち報道陣で埋め尽くされた。この年の7月以降、安倍の重病説が1か月近くも乱れ飛び、その進退が注目を集めていただけに、熱気は近年に例を見ないほどだった。
 退陣表明の3週間近く前、私は8月10日の電話で病状について安倍から初めて打ち明けられた。
「持病が再発してしまった。(睡眠薬の)マイスリーを飲んでいるが、なかなか眠れなくて困る。私が体調を崩してしまったから、秘書官たちがすごく落ち込んでしまったんだ……」
 その声はいつもより暗さを帯びていた。持病とは第1次政権退陣の原因になった潰瘍性大腸炎のことだ。その瞬間、私の中には当時の安倍の沈鬱な表情が浮かび上がり、「退陣」の2文字が脳裏をかすめた。
長期政権の中で病に蝕まれていた
 4日後の電話でも苦しみの声を漏らしていた。
「多分、今が(症状の)ピークだろう。長年にわたり薬を多めに飲み過ぎてしまったことが原因かもしれない。これまでの8年間、全力疾走だったから」
 2012年の第2次政権発足以降、安倍は2009年に新薬として承認された治療薬アサコールに助けられながら、大腸の炎症をコントロールしてきた。
 また夜更かしがちだった習慣を改め、夜には携帯電話を別室に置き、定期的にジムで汗を流す生活を心掛けた。国会の会期中以外は首相公邸ではなく富ヶ谷の私邸に帰宅するようにし、夏季休暇は河口湖の別荘で友人たちと過ごすなど、意識的にオンとオフの切り替えに腐心した。
 腸の天敵はストレスであり、働き詰めだった第1次政権時代の教訓を踏まえた。
 だが、8年近くに及ぶ長期政権を運営する中での負担が知らず知らずのうちに安倍の体調を蝕んでいた。さらには2020年1月以降、新型コロナという未知のウイルスへの対応に追われるなど、前例のない難題が追い打ちを掛けた。
人間ドックで異常な数値が
 6月13日の人間ドックで炎症を示す異常な数値が出たことで、医師から「秋に再検査を」と告げられ、7月中旬には安倍自身が持病の再発を明確に自覚する。一気に食が細くなり、体重が誰の目にも明らかなほど落ち始めた。重病説が流れ出すのもこの頃からだ。
 7月22日、安倍は、ステーキ店「銀座ひらやま」で自民党幹事長の二階俊博、ソフトバンクホークス会長の王貞治らと会食した。安倍は大の肉好きで、普段はTボーンステーキをペロリと平らげる。
 だがこの日は、野球談議に花を咲かせる二階や王の笑い声に合わせながら、密かに肉をサイコロ状に小さく切るよう店主に依頼していた。7月30日には政調会長だった岸田文雄とパレスホテル内の日本料理店「和田倉」で食事をしながら政局について幅広く意見を交わす予定だったが、1時間半で早々に切り上げている。
「13年前の退陣と酷似している」
 安倍は焦燥感を募らせた。8月6日の原爆の日に広島平和記念式典で記者会見に臨むが、広島空港や会見直前のトイレが異様に長く周囲を心配させた。翌日には足取りの重さも指摘される。もはや限界だった。
番記者に漏らした“気弱な心境”
 コロナ対応への批判も高まり、8月16日の電話では珍しく、こんな気弱な心境を吐露していた。
「日本は、『こいつは叩ける』と思った途端、みんなで襲いかかるような国になってしまった。いつからこんな国になってしまったのか。本来の美しくて優しく、しなやかな日本を取り戻したかったのに……」
 今振り返ると、翌17日こそが、安倍が退陣に大きく傾いた日ではなかったか。東京・信濃町にある慶應大学病院に検査で約7時間半も滞在。マスコミが殺到し「退陣間近」との憶測が飛び交った。
「あまり私を煽らないで」と…
 その夜、安倍はこう語った。
「今日、検査に行ってきたが症状が悪かった。実は、新しい薬があるそうで、これが効くかどうか。明日一日よく考えてみる」
 新しい薬とは生物学的製剤と呼ばれる「レミケード」のことであり、検査後に2時間半にわたり点滴で投与していた。
 安倍の声は極めて不安げだった。私は思わず、退陣を思い留まるべきだと直言した。
「あまり私を煽らないで。今日は睡眠剤を飲んで、よく眠ることにするよ」
 安倍は、それだけ言うと電話を切ってしまった。すぐさま、激しい反省の念が込み上げてきた。
 13年前、安倍が退陣の可能性をほのめかした際、私は内閣改造を断行すべきとの意見を伝えた。それがかえって安倍の悩みを深めたようで、明らかに記者の領分を踏み越えた発言だった。以来、自分を「私は当事者ではない。一記者に過ぎない」と戒めてきたはずだった。
退陣のタイミング
 一時的に体調の改善は見られたものの結局、安倍は8月28日に退陣を表明する。新型コロナの感染拡大がピークアウトし、臨時国会で新たな首相が対応できるよう逆算して退陣のタイミングを計った。そこには「投げ出し」と批判された第1次政権の反省を徹底的に踏まえ、後進への道筋をつけることに腐心した形跡が見て取れた。
 安倍は辞任会見で次のように語った。
「政治においては、最も重要なことは結果を出すことである。私は、政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました。病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました」
 そして、「総理大臣の職を辞することといたします」と述べた後、こう続けた。
「現下の最大の課題であるコロナ対応に障害が生じるようなことはできる限り避けなければならない。この1か月程度、その一心でありました。悩みに悩みましたが、この足元において、7月以降の感染拡大が減少傾向へと転じたこと、そして、冬を見据えて実施すべき対応策を取りまとめることができたことから、新体制に移行するのであればこのタイミングしかないと判断いたしました」
(岩田 明子/ノンフィクション出版)