Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

ネコウヨ戦記 安倍総理と駆けた10年 042

私はネコである。名前はもうない。


【42】高橋是清 ~ 好景気を呼び寄せた男


 「是清翁」と私は尊敬と親しみを込めて高橋是清氏を呼ばせていただいている。
 アメリカに留学に行ったら奴隷(正確には年季奉公)に売られてしまったとか、ペルーで鉱山経営をしていたら騙されて無一文になってしまったとか、失敗談には事欠かない人である。
 他方、日露戦争の外債募集では奇跡ともいえる大成功をおさめ、1929年アメリカに端を発する世界大恐慌から日本をいち早く脱出させることにも成功する。
 そして、1936年(昭和11年)二・二六事件において、青年将校に暗殺されるという、誠に痛ましい最期を遂げたのである。
 私は是清翁の生涯に深い感銘を受けるとともに、優秀な「補佐役」がいなかったことが悔やまれてならない。
 特に、世界大恐慌から日本を見事に立ち直らせた斬新な政策は80年近くを経た現代においても十分な輝きを放っている。しかし、あまりに「斬新」であったがゆえに、諸外国はおろか、日本国民でさえもその政策を理解することができなかった。このことが英米に、日本は不当な手段で世界恐慌を脱したとの印象を与え、国内にあっては軍部の不満を生んでしまった。そして、翁自身も青年将校の凶弾に倒れ、日米開戦の遠因ともなったことが本当に残念でならない。
 これは翁に才能がなかったからではなく、時間がなかったのである。常に要職にあった翁は、ご自身の政策や理念について国民に噛み砕いて説明する機会をほとんど持てず、英語で諸外国へ発信する機会もなかったのである。翁は政治・経済に明るく、英語も堪能であったにもかかわらず、である。
 もし仮に、翁の政策や理念を十分に理解し、国民に分かりやすく説明できる人物がいれば、諸外国語で説明できる人物がいれば、翁と日本の運命は大きく変わっていたであろう。
 翁の銅像は、今日もニコニコと赤坂の是清邸跡に鎮座しているのである。


 これを書いているとき(2014年8月31日)にはまさか安倍総理も暗殺されるとは思わなかったな…。