Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「中国寄り」を継続するか見直すか ソロモン諸島総選挙、政府に審判

 中国寄りの政策の是非が争点となった太平洋の島国ソロモン諸島の議会総選挙(一院制、定数50)の結果が24日、判明した。親中派の政権与党は単独過半数に届かず、対中関係の見直しを掲げる野党勢力の合計議席数を下回った。連立交渉などをへて野党候補が首相に指名されれば、太平洋での影響力拡大を図る中国にとっては痛手となる。


ソロモン諸島の首都ホニアラの中華街。2021年の暴動で焼け落ちた建物が残されていた=2022年10月26日、ホニアラ、西村宏治撮影


 選挙は17日に投票され、開票作業が続いていた。ソロモン諸島放送によると、現首相のソガバレ氏率いる与党OUR党が15議席、野党3党でつくる連合CAREが13議席を獲得した。CAREと同様にソガバレ政権の親中政策を批判している野党・統一党も7議席を得た。ロイター通信は、統一党がCAREに合流する見込みだとする関係者の話を報じた。実現すれば計20議席に達し、与党を上回る。
 新首相は今回当選した議員が選出するため、今後は過半数獲得に向けた連立交渉や、無所属議員の支持集めといった与野党の駆け引きが焦点となる。鍵を握る残りの15議席のうち10を無所属、5を三つの小規模政党が占める。


 ソガバレ政権は米中が影響力を競う太平洋島嶼(とうしょ)国の中でも特に「中国寄り」で知られる。発足直後の2019年に台湾と断交して中国と国交を樹立。22年に安保協定、23年に警察協力協定を結び、中国から多額の援助を繰り返し引き出した。

北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?

北海道新幹線の計画上の終点は旭川です。現在は札幌までの延伸工事が進められていますが、その開業が視野に入ったことで、旭川延伸へ向けた動きも出てきています。


北海道新幹線の計画区間
北海道新幹線は新青森~旭川間が計画区間で、このうち新青森~札幌間が整備計画区間、札幌~旭川間が基本計画区間です。現在事業着手しているのは、整備計画区間の新青森~札幌間のみです。


札幌までの延伸開業は2031年春が予定されています。数年遅れる見込みですが、それでも2030年代半ばには工事が完了しそうで、札幌延伸開業が視野に入る段階になりました。


それにあわせて、将来の旭川延伸を求める声が上がり始めています。2021年には、北海道新幹線旭川延伸促進期成会が設立され、建設促進運動が開始されました。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
© タビリス
途中駅は筆者による仮定。 画像:国土地理院地図を加工
「旭川新幹線」の概要
ここでは、北海道新幹線旭川延伸を、「旭川新幹線」と呼ぶことにします。


旭川新幹線について公式に決まったことは何もありませんが、期成会がウェブサイトで延伸の概要と整備効果を示していますので、その内容をみてみます。


まず、札幌~旭川間の鉄道旅客需要についてですが、北海道新幹線(函館~札幌)や西九州新幹線(鳥栖~長崎)に匹敵します。整備計画路線に匹敵する輸送量が期待される、ということです。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
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© タビリス
画像:北海道新幹線旭川延伸促進期成会ウェブサイトより


旭川新幹線の所要時間
東京~旭川間の所要時間ですが、最高速度が360km/hの場合で4時間25分、260km/hの場合で5時間50分とされています。なお、現状は9時間23分です。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
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© タビリス
画像:北海道新幹線旭川延伸促進期成会ウェブサイトより


現在建設中の北海道新幹線札幌延伸開業時点では、東京~札幌間の目標が4時間30分とされています。そのため、東京~旭川間4時間25分はちょっと無理そう。ただ、東京~札幌間で4時間30分が実現すれば、東京~旭川間で5時間あまりにはできそうです。


ちなみに、最高速度260km/hの場合で、旭川~札幌間は35分、旭川~函館間は1時間38分、旭川~仙台間は4時間07分とされています。最高速度360km/hなら、旭川~札幌間は29分、旭川~函館間は1時間14分、旭川~仙台間は3時間4分です。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
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© タビリス
画像:北海道新幹線旭川延伸促進期成会ウェブサイトより


利用者は50%増
駅間通過人員は、旭川~滝川間で8,734人、旭川~岩見沢間で9,866人、岩見沢~札幌間で9,945人になると予想しています。


新幹線整備により、おおよそ50%増えるという見込みです。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
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画像:北海道新幹線旭川延伸促進期成会ウェブサイトより


旭川新幹線のルート
期成会によると、旭川新幹線のルートは、現在の函館線に沿って、最高速度360km/hが可能になるよう、できるだけ直線的に設定します。


路線は単線です。駅位置、駅数については、現在の特急停車駅、人口集積度、在来線との接続を考慮して設定します。


いちばん気になる途中駅の位置は政治的な問題でもあり、ぼやかされています。候補となるのは冒頭の図のとおり、岩見沢、美唄、滝川、深川の4駅でしょうか。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
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© タビリス
画像:北海道新幹線旭川延伸促進期成会ウェブサイトより


「次のリスト」に乗り遅れまいと
新幹線の基本計画路線は全国で11路線あり、その多くの沿線で「整備新幹線」への格上げを求める運動が始まっています。旭川延伸に向けた期成会設立は、その波に乗り遅れまい、という動きとみられます。


現段階で即座の着工を求めているわけではなく、「次のリスト」に盛り込まれることを目的とした運動に見受けられます。


JR北海道の在来線高速化構想
いっぽう、JR北海道は2026年までの中期経営計画のなかで、在来線の高速化構想を掲げました。函館線札幌~旭川間については、現在1時間25分の所要時間を最速60分にすることを目指します。


JR北海道の構想は、在来線の高速化であって、新幹線建設ではありません。


新幹線計画路線に並行する在来線で高速化を掲げたことは、「新幹線建設ではなく、在来線改良で高速化を実現する」という宣言にも受け取れます。


在来線高速化が都合がいい?
JR北海道が、このタイミングで、遠い将来の目標として在来線高速化を掲げたのは、旭川新幹線建設運動の動きが影響しているのかもしれません。


背景として、仮に旭川新幹線を建設した場合、並行在来線の扱いに困る、という点が挙げられます。輸送密度からすれば、函館線岩見沢~旭川間の維持が困難になりますが、廃止となると、旭川で接続する富良野線や宗谷線、石北線が宙に浮きます。


いっぽうで、並行在来線をJRが維持すれば赤字が増えるだけです。JRとしては、新幹線を作るより、並行在来線問題が生じない在来線高速化のほうが都合がいい、ということでしょう。


札幌駅のホーム容量問題
さらにいえば、北海道新幹線札幌駅ホームの問題もあります。札幌駅ホームは在来線ホームの東側、創成川上に作られますが、2面2線にとどまります。


フル規格の新幹線を旭川方面へ伸ばすのであれば、ホーム容量が足りなくなるおそれがありますし、車両運用もしづらそうです。しかし、駅南側にビルを建てることもあって、ホームを増設するスペースはなさそうです。


つまり、JRとして、旭川延伸に備えてホーム用地を確保していないように感じられます。ホーム用地の心配のない在来線高速化案のほうが、JRとしては好都合でしょう。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
© タビリス
画像:JR北海道プレスリリース


在来線で最高速度200km/h?
ただ、在来線高速化は必ずしも新幹線計画と相反するものではありません。


というのも、国土交通省は、『幹線鉄道ネットワーク等のあり方に関する調査』において、新たな新幹線整備手法として、在来線改良による高速化を検討しているからです。その目標は最高速度200km/hです。


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北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
北海道新幹線旭川延伸を考える。札幌~旭川間29分は実現できるか?
© タビリス
画像:「幹線鉄道ネットワーク等のあり方に関する調査令和2年度調査結果」


在来線の200km/hは、ほぼ直線でなければ実現できません。札幌~旭川間の在来線には長大な直線区間があります。となると、JR北海道は、この方式で「旭川新幹線」を実現しようとしているのかもしれません。


あるいは、国交省の『幹線ネットワーク調査』の在来線200km/h運転は、この区間を想定して記されたと考えることもできます。つまり、国交省のお墨付きです。


基本計画路線を在来線改良で
札幌~旭川間で最速60分というのは、360km/h新幹線の29分より長いものの、十分に短い所要時間です。在来線改良でそれを実現できるのであれば、フル規格の新幹線を追い求める必要性は小さくなります。


言い方を変えれば、JRの構想は、新幹線の基本計画路線を在来線改良に落とし込む内容といえます。となると、将来的には、「北海道新幹線旭川延伸」と「函館線高速化」の計画が一体になる可能性もあります。


一方で、期成会が構想する札幌~旭川間29分は夢がある数字です。「単線新幹線で360km/h運転、ノンストップ」というような前提条件で試算されているようで、難しそうですが、不可能とまではいえません。


いずれにせよ、札幌~旭川間の高速化が、北海道の鉄道において次の課題であることは確かです。フル規格を単線で作るのか、在来線を高速化するのか。長い議論になりそうです。(鎌倉淳)


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ソ連・ロシアのプロパガンダを30年伝え続けた「日本人ラジオ局アナ」が見た大国崩壊

かつてのソ連は、自陣営の優位性を世界に伝える多言語プロパガンダ機関として「モスクワ放送」を開局。短波や中波にいくつもの周波数をはりめぐらせ、ニッポン放送と混信することもあって、リスナーを困らせていた。ソ連の指示の下で日本語原稿を読み上げていた日本人アナたちが、当時の思い出を語った。※本稿は、青島顕『MOCT「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。


ソビエト連邦の最後の年


夏のクーデターの行方は?


 1991年。20世紀に70年近く続いた人類初の社会主義国・ソビエト連邦は、最後の年を迎えようとしていた。
 経済の行き詰まりと共に、連邦を構成する共和国の一部から離脱の動きが顕在化するようになった。


 ゴルバチョフ大統領はロシアやウクライナなど主要な共和国による緩やかな連合体をつくり、資本主義体制への移行を進めようとする「新連邦条約」の制定を目指した。


 調印を目前に控えた8月19日。クリミア半島の別荘で夏休みを取っていたゴルバチョフ大統領は社会主義体制を堅持しようとする政権内の保守派から軟禁された。彼らは国家非常事態委員会を名乗って、クーデターを起こす。


 日本時間の夕方に放送されたモスクワからの日本語放送で、少し高い声の男性アナウンサーが非常事態委員会の声明を読んだ。


「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由により、大統領の職務を遂行できないことから、ソ連国家元首の権限がゲンナージ・ヤナーエフ副大統領に移りました」


 ニュースを読んだのは、当時26歳のアナウンサー兼翻訳員・山口英樹さん。モスクワに来て2年半だった。


 この日の朝から国家非常事態委員会が報道機関を統制下に置いていた。


 委員会は、外国に政府の情報を流すモスクワ放送にも声明の放送を命じていた。


 当日の放送の音源がYouTubeに上がっている。ニュースの枠ではなく、本来ならニュースの後に放送される「ニュース解説」の枠で放送されている。


 オープニング曲、ソ連の作曲家スヴィリードフの曲「時よ、進め!」の厳かな調べが流れる。それに乗って、山口さんが話す。


「ソ連指導部は声明を発表し、その中で、ソ連の特定地域に半年間、非常事態が導入されたことが指摘されました。国内全域が無条件で、ソ連憲法と連邦法の支配下に置かれます。また、国の管理と、非常事態体制の効果的な実現のため、ソ連国家非常事態委員会が作られました」


 モスクワ放送の流す内容は、日々変化していった。初日は国家非常事態委員会の言う通りの放送。2日目に中立になり、3日目は(クーデターに対抗する)民主派の動きを伝える内容に変わっていった。


 ソ連を構成する共和国のうち最大のロシア共和国の大統領・エリツィンの反発もあってクーデターは失速し、わずか3日で鎮圧された。大統領代行、国家元首を名乗ったヤナーエフらは捕らえられた。


ソ連は悪の帝国でも


理想の社会でもなかった


 山口さんがモスクワ放送に入局したのは、1989年初めだった。


「もともと、できる人はできるように、できない人もその人なりに暮らすことができるというソ連の社会に対して共感するところがあったのです。それに、日本で報道されていることは本当なのか。実際に見てみるとどうなのか。知りたくて行ったようなところがあります。行って見てみると、(日本の保守派が説くような)『悪の帝国』でもなく、(革新的な人たちが言うような)すばらしいところでもなく、極端に言われていることは、どちらも正しくないことが分かりました」


 ヤナーエフらの声明を読み上げるときのような、のっぴきならない状況を含めて、ソ連の国家が運営して西側陣営の日本に向けられたモスクワ放送は、いわばプロパガンダを流す場である。どんな考え方で働いていたのだろうか。


「聞かれた方が情報を取捨選択してください、という気持ちでした。『これはソ連の公式見解ですよ』と言いたかった。肩入れするとか、違うとか、自分のメッセージを込めることはなかった。自分の体感は、ニュース以外のところで伝えるようにしていました」


 夏のクーデター未遂事件を境に、ソ連は坂道を転げ落ちるように一気に崩壊への道を進んでいった。ゴルバチョフ大統領は権力基盤を失い、代わってロシア共和国のエリツィン大統領が主導権を握るようになった。


 15共和国のうち、バルト3国が独立を宣言。ロシアなど有力な共和国が独立国家共同体(CIS)を結成した。ソ連という国が間もなく何かに変容していくのは明らかだった。


 寒さが増すモスクワで、日向寺康雄アナウンサー(編集部注/1987年冬、29歳で入局)が歴史の転換点となるアナウンスをした。1991年12月下旬のことだった。


「ソ連がその存在を停止する」


 ロシア語の原稿を翻訳してみると、そんな日本語になった。この一文にあった「スシェスブーエット(存在する)」という動詞の変化形が頭にこびりついているという。


 仕事を終えて家に向かうとき、モスクワは新年を前にした、いつもの街だった。不穏な空気はなかった。だが、外国人職員に与えられたアパートの部屋に帰ると、日本から問い合わせの電話が次々に鳴った。


「ソ連がなくなってしまうのですね」


 自分が読み上げた原稿に関して、マスコミ関係者らが確認を求めたり、街の様子を尋ねたりしてきた。


東西イデオロギーの対立が終わっても


日本語放送は2017年まで続いた


 12月25日、クレムリンにはためいていた赤地に金の鎌と鎚のマークがついたソ連国旗が降ろされ、代わりに白青赤三色のロシア連邦旗が掲げられた。


 モスクワ放送は「ロシアの声」と名を変えた。インターバル・シグナルもムソルグスキー(ロシアの作曲家)の曲に変わった。“キエフ(キーウ)の大門”をテーマにした曲だ。


 日向寺さんが「別の国(ウクライナ。かつてはソビエト連邦の構成国だったが、ソ連崩壊で独立国家になった)のことをテーマにしているのでは?」と尋ねたが、ロシア人のスタッフは「ルーシ(古代ロシア)はあそこから全てが始まっているのだから」と問題にされなかった。


 1990年代半ば、ロシア社会は「ギャング資本主義」と呼ぶ混迷の時代に突入していった。局を統括する政治家は「儲からないものは民営化」の路線に転換し、モスクワからの外国語放送は30言語ほどに減らされた。


 東西冷戦はとうの昔に終わり、さらに東側そのものが世界から消えていた。東西双方の陣営にとって、放送を通じてお互いの思想をアピールし合う時代ではなくなっていた。


 イデオロギーに縛られることはなく自由になったが、それは同時に、放送を運営する国家からすれば、お金をかけてまで宣伝するものがなくなっていたことを意味する。


 2014年のソチ冬季オリンピックを前に、「ロシアの声」とノーボスチ通信社が合併することが大統領令で決められた。日本語放送はその名が「ラジオ・スプートニク」と改められ、ラジオからインターネットだけの放送へと変わった。


 ついに2017年5月にネット放送も停止。日向寺さんはその年の6月、神奈川県海老名市に住む両親の介護のため、モスクワを離れた。


「3.11」に打ちひしがれた日本へ


ロシアより友情を込めて


 30年にわたって「モスクワ放送」「ロシアの声」でアナウンサーを務めた日向寺さん。社会や経済の混乱の中で、大変な思いをしながら働いてきたはずだ。中でも、ソ連・ロシアの公式見解を伝える仕事は心を苦しめなかったのだろうか。


「ニュースそのものはロシアの立場を伝えるものだった。これは誰かがしなければならない大切な仕事だと考えている」


 いつもロシア当局の言いなりで放送していたわけではなかった。例えば、北方領土の4島について、ソ連・ロシアは自国領という立場を取ってきている。そのニュースを伝えるとき、日本人職員は、ソ連・ロシア側の立場である「南クリル4島」という言い方をせず、「南クリル4島、いわゆる北方領土」と言い換えていた。そうしなければ日本のリスナーには伝わらなかったからだ。


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『MOCT「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人』 (集英社) 青島顕 著
『MOCT「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人』 (集英社) 青島顕 著
© ダイヤモンド・オンライン
 宮城県美里町に住む主婦の青木郁子さん(72)は「ロシアの声」の熱心なリスナーだった。2011年、東日本大震災のとき、暗闇の中でぼうぜんとしたままラジオをつけ、ダイヤルをモスクワ放送に合わせると、日向寺さんの担当する音楽の時間だった。流れてきたのはアンナ・ゲルマンの「ナジェージダ(希望)」。1970年代のソ連を代表する女性歌手だ。


  希望――それは私にとって、地上のコンパス


  幸運は勇気への報酬


 今どきの歌謡曲とは違うスローテンポな調べに、やさしい歌声が合っていた。日向寺さんは震災で大きな被害が出た日本に心を重ね、少しでも励まそうとこの曲を選んだのだろう。


 青木さんは言う。


「今でも決して忘れられません。この世の全てが終わりなのではないのだと。放送を聞いて、かすかな希望を感じることができました」